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懐かしい物ふぁんくらぶ♪コミュのEXテレビ

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EXテレビ(エックステレビ)は、日本テレビ系列で1990年4月2日から1994年4月1日までにかけて、月曜日から金曜日の深夜23:55 - 24:55に放送されていた深夜番組で、お色気番組のイメージが強かった11PMのイメージを一新した。「11PM」と同じく、月・水・金曜日は日本テレビ放送網(日本テレビ)、火・木曜日は讀賣テレビ放送(よみうりテレビ)の制作(通称:「EX Osaka」)で放送された。この番組は月曜日の放送がステレオの音声で放送されていた為、新聞の番組欄でステレオ音声を意味する「[S]」のマークが付いて、「[S]EXテレビ」と読めるという視聴者からの指摘を受けていた(ただし、途中からモノラル放送となった)。このためか、やや表現が穏やかなクリアビジョン放送となった。

日本テレビ発は三宅裕司、よみうりテレビ発は上岡龍太郎と島田紳助(火曜日のみ)が司会を務め、原則制作局の自社スタジオから生放送されていた(ただし木曜は通常VTR収録、火曜日も末期はVTR収録に移行)。各曜日ごとにテーマを設けたが、その中で火曜日に放送された実験的テレビ番組企画(番組内では「テレビ論」と称していた)はひときわ異彩を放っていた。第一回の放送で上岡は「昨日、東京で三宅裕司がやってたつまらない番組みたいにはしません」と発言し、東京と大阪の対立を煽ることも視聴率UPに利用していた。 木曜日は、立川談志、山城新伍を迎え、最強のトリプル(月2回)や大島渚、野坂昭如、小田実ら、7人でのトークの日(月2回)があった。

なお、EXテレビのEXは、「ヤング・エグゼクティブ」を意味している。

この番組終了後は、スポーツニュースを合体させた「どんまい!!スポーツ&ワイド」に引き継がれる。


内容

月曜日 

三宅と共に進行役として南美希子が登場。「チェッカーマン」と称して村田昭治(慶應義塾大学教授)がレギュラー出演。最新トレンドを紹介し、掘り下げる。流行に疎い三宅を南が引っ張る内容であった。ナレーションを現在売れっ子ナレーター武田広と日本テレビアナウンサー鷹西美佳が務めた。
途中より「今週のベストテン」コーナー(トレンドランキング)が登場。トレンドランキングの企画は『輝け!噂のテンベストSHOW』(よみうりテレビ制作)に、ランキングのフォーマットは『出没!アド街ック天国』(テレビ東京制作)に引き継がれた。この両番組は制作プロダクション(ハウフルス)が同じである。

火曜日 

上岡と紳助の司会進行。基本的に「テレビ論」がテーマであった。途中、「NEWS・EXTV」のコーナーがあり、上岡がニュースキャスターを務めていた。様々な実験企画が放送され好評を博し、通常世間で「EXテレビ」といえばこの上岡・紳助版を指した(実験企画については後述)。ここで生まれた企画は現在放送されている自局の番組や特番で残っているものも多く(かつて、この曜日の放送をディレクターとして担当していたスタッフがプロデューサー・ディレクターとして関わっている番組において同じ企画が放送されるケースが多い)、また企画自体が他局に売りに出されたケースもある。

水曜日 

三宅が時事問題を斬るコンセプトでスタート。舛添要一がレギュラー出演。当初は森口博子をパートナーに迎え、内容も硬派で視聴者との電話による討論(ディベート)などが行われていた。その後不評につき内容を変更。パートナーを大島智子にバトンタッチして風俗や社会現象を紹介したり豪華ゲストをお迎えしてのトークなどの砕けた内容となったが、舛添は引き続き出演していた。

木曜日 

上岡が「テレビ論」をテーマに、毎回異なる企画を放送した。尊敬する二代目桂枝雀をゲストに招いて『緊張の緩和』をはじめとする落語・笑いの理論をインタビューしたり(この回は誤って2回放映された、という逸話もある)、仲のいい芸人を楽屋に呼ぶ形で『楽屋トーク』を中継したり(『芸人が見せてはいけない部分』として、批判もあった)していた。また、『笑い』『吉本新喜劇』『その時代の出来事』などを厳しく議論することもあり、特に上岡が嫌悪する『占い』『オカルト』などについてはスタジオ・ブラウン管が騒然とすることも少なくなかった。中には上岡1人を残し、無人のスタジオで上岡が延々と時間一杯までトークで繋ぐ回や、CMを番組の前後に集中して放送し、まるまる立川談志の落語をノンストップで行った回などがあり、異色の企画が多かった。

金曜日 

三宅と森脇健児、西村知美が進行役として出演。内容はバラエティー(ほぼ村野武範司会時代の金曜イレブンと類似)。ロケ出演のリポーターとしてルー大柴が出演(後に森脇に変わってスタジオ出演となる)。番組内で時折見せる海パンダンスは金曜日の代名詞となった。レギュラーは他に作家の志茂田景樹、日本テレビアナウンサー(当時)藪本雅子がいた。

火曜日の実験企画
抱かれてみたいのはどっち!?
毎回ゲスト1人が、5つのジャンルに各5人の有名人と「抱かれてみたいのはどっち?」という質問で対戦。東京と大阪各10人・計20人にアンケート調査を行う。それぞれのジャンルの各5人に1〜5倍のオッズがつけられ、ゲストの獲得票×オッズが得点となる。毎回、上岡チームと紳助チームに分かれて対戦する。もともとは上岡と紳助の2人のうち「○○してそうなのはどっち?」という形式の質問(例:上岡と紳助「涙もろそうなのはどっち?」や「字がうまそうのはどっち?」など)を、ひとつの質問につき20人に街頭インタビューを行い、どっちが多かったかを予想する企画が放送されたのが原型である。この中の「抱かれてみたいのはどっち?」という質問を取り出して単独の企画とした。最初の2回は紳助、上岡がそれぞれ自らの得票数を競う方式で放送されたが、参考データとして公開した「西川のりおvs○○」の数値でのりおの獲得票があまりにも少なかったため、ゲストを招いて対決するコーナーへと発展した。ちなみにのりおの回で19対1と惨敗したせんだみつおがゲスト出演した回は、サダム・フセインとの対決で7対13、桂歌丸との対決でも6対14と敗北を喫し、番組内でせんだ自らが「歌丸事件」と称するなど自虐的態度を取っていた。
この企画は後に数人のタレントがクイズ形式で予想する「抱かれてみたいのはグランプリ」に形を変えていく(後述)。
なおこの企画は同じよみうりテレビ制作で紳助が司会をしている「芸恋リアル」が引き継いでいる。
抱かれてみたいグランプリ
6人の有名人の中から「抱かれてみたいのは誰?」というアンケート調査を行い、先に20人の支持を得られた有名人が1着となる。5人の解答者は、1着になる有名人に得点を賭け、的中すれば掛け点×オッズ分の点数がもらえる。最終的に得点が最も多かった解答者のみが賞金を獲得することができる。司会は上岡または紳助が担当し、オッズも自らつけることになっている。この企画は後にダウンタウンDXの「ビッグスターイメージレース」のコーナーへと受け継がれていった。
クイズ100人に聞いたら1人しか言いませんでした
当時TBSテレビで放送されていた人気クイズ番組「クイズ100人に聞きました」にヒントを得たパロディ企画。「有名人の姓名、名字、漢字などで連想される有名人は?」という質問を100人にアンケートを取り、1人しか答えなかった有名人を当てるというクイズ。歴史上の人物や創作物の登場人物も可とされた(例:中村と言えば? 解答例:中村雅俊、中村玉緒、中村勘九郎、中村主水など)。当初は100人に聞いても1人も答えなかった有名人を当てるクイズだったが(タイトルも「クイズ100人が言いませんでした」だった)、あまりにも解答がマニアックになってしまったために変更された。
正解なら20点加算され、不正解の場合は人数分の減点となる。0人の場合は-10点。1点=1000円のレートで賞金額が決まる(と言う事になっている)。企画初期の段階では正解時の加算が10点であったが、レートが厳しすぎて獲得賞金がマイナスで終了する解答者が相次ぎ、番組内でも本当に罰金額を没収するという発言をしており、ひどい時には10万円以上もの没収を食らうゲスト解答者もいた。このため「企画自体が賭博行為に当たるのではないか」という疑いが持たれ、警察から注意を受けたというエピソードもある(これ以降、正解時の加算が20点とされた)。そのためか、番組内では1点あたりの金額を言わず、「(缶飲料の)ウーロン茶○本分」という単位をよく使っていた。なお、このコーナーでジミー大西は司会の紳助に「ジミーちゃんパンチ!」とよく頭を殴られたり、裸にされたりするなどひどい目にあっていた(裸にされた理由は、放送途中で持ち点がなくなってしまい、衣装を形に得点を借りてゲームを続行したため)。この企画はスーパークイズスペシャルでも、紳助の司会で出題された。
お宝鑑定企画(「家宝鑑定ショー」)
一般視聴者からお宝が持ち込まれ、プロの鑑定士がお宝を鑑定する企画。EX Osakaの最終回に「司会・島田紳助」つきで企画オークションに出され、最高値をつけたテレビ東京が『開運!なんでも鑑定団』として放送し、日本全国にお宝ブームを巻き起こしたことで知られる。
クイズここまで出てるのにぃ
まず、6人の解答者は持ち金が与えられる。その後、司会の上岡が、問題によって答えられなかったときの罰金を解答者ごとに設定する。答えが分かったら、上岡にしか聞こえないマイクを通じて答える。問題は、ちょっと前にはやった物など、「ここまで出てるのに思い出せない」というものが出題される。正解すれば賞金はキープだが、制限時間内に答えられなかった場合は上岡が設定した罰金分差し引かれる。問題が全て終わった時点の残金が賞金となる。番組終了後、期首特番としてゴールデンタイムに放送されるようになり、現在の島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!につながった。
フンフンゲーム
出題者がある言葉を、口を開けずに「フンフン」だけで言って、何と言ったかを当てるクイズ。上岡チームと紳助チームの対戦で、司会は当時よみうりテレビアナウンサーの羽川英樹。あまりにくだらないと出演者が自己批判していたが、この企画も島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!で行われたことがある。
クイズ全員が司会者
上岡・紳助にダウンタウンの2人を交えて、4人がそれぞれ中心を向いたセットに座って交代で問題を出し、出題者が正解を決められる。上岡の意図的な誘導により、次第に上岡をのぞく3人の私生活暴露や吉本の先輩への暴言大喜利大会になる。
クイズロシアンルーレット
前述の「クイズ全員が司会者」を発展させた企画。中心に小型カメラ付きのルーレットが設置された円卓型のテーブルに参加者4人が向き合って座り、毎回、参加者4人のなかからカメラつきルーレットを回して、ルーレットが止まった時点でカメラが向いている席に座っている者が出題者となる。出題者は答えにくい質問に答えなくてはならない(質問例「あなたとエッチしたことのある芸能人の名前を書いてください」など)。残り3人は出題者の答えを当てる。出題者は正直に答えないと司会の上岡と3人の解答者から空気鉄砲を撃たれる罰則がある。
春(秋)の新番組ダービー
春・秋の番組改編期に行われる企画。視聴者は、新番組の中で最も早く打ち切られる番組をハガキで予想し、的中者の中から抽選で1名に高額賞金がもらえるというものだった。最初の頃は、上岡と紳助が番組ごとに賞金を決定していたが、大島渚、西川のりおなどの著名人8人が加わり、打ち切りと予想した人数に応じて賞金が決定された。(ちなみに当時の人気番組となる「きよしと徹のあんたが主役」や「マジカル頭脳パワー!!」などは早く打ち切られる上位に予想していた。正解率は高くなかった)この類の企画はやしきたかじんがメインの番組でやるようになった。
公開弟子審査会
オール巨人と西川のりおの弟子を決めるオーディション。この企画で、当時素人だった元猿岩石の有吉弘行が巨人の弟子入りを果たしたが、半年で破門される。
朝まで生アソビ
朝まで生テレビのパロディー。大島渚、野坂昭如、デーブ・スペクター、大学教授や作家などの文化人が参加し、古今東西ゲームやしりとりなどで遊ぶ番組史上最もくだらない企画だった。朝まで生テレビと同じく、電話やFAXで視聴者から意見を募集していたが、「こんなくだらないことはやめろ」など批判の意見が殺到していた。
芸能才人図鑑
毎回、大物ゲストが上岡と紳助と3人でトークする企画。過去に、坂上二郎、橋爪功、原田芳雄などが登場した。
絵画チャリティーオークション
芸能人が描いた絵画を出品し、オークションするという企画。出品前に、画家の山本集がそれぞれの絵画を評価。その中で、ジミー大西の絵画を高く評価し、上岡も「キミは天才や」と絶賛。オークションでは30万円以上の値段が付けられ、ジミーが画家に転向するきっかけとなった。
EXラジオ
上岡と紳助の2人だけで、ラジオトークするという企画。カメラが1台で固定されたり、上岡と紳助の顔部分だけが映ったりとラジオの雰囲気を強く出していた。途中で、芸能人の明日のスタジオ入り予定など奇妙なコーナーがあった。また、一度だけジミー大西がメインを務める「ラジオジミー」が放送されたことも。
低俗の限界
番組スタート直後の1990年4月5日の木曜日の放送で上岡が1人で延々と喋る企画が放送されたが(このとき上岡は「魏志倭人伝を1時間読み続けて、どこで誰も見なくなるかという企画をやってみたい」と言っていたが、魏志倭人伝は短いのですぐに読み終わる)、放送中テレビ局にとある視聴者から「男が1人で何ベラベラ喋っとんねん、早くハダカを見せろ、ハダカを」という苦情電話があった(苦情電話を入れた視聴者は前番組の「11PM」と思い込んで番組を観ていたらしい)。番組に届いた苦情電話を紹介する企画でそのことを知った上岡と紳助が提案し、実現した企画である。前半はスタジオに数名のヌードモデルが立っていたり、横たわる中でトークを繰り広げ、後半は上岡と紳助の2人がソファーに腰掛けて真面目なトークを展開する企画であったが、問題は2人の頭を挟むように全裸の女性(AV女優)が座っている点であった。ちょうど2人の頭が女性の股間を隠すような位置に来るように設定されており、不用意に頭を動かすと女性の局部が露出してしまうことから、2人が頭を動かさないようにしながら様々な行動を取る様子が奇妙な笑いを生んだ。また、CM前には有名クイズ・ゲーム番組を下ネタにアレンジしたパロディー企画が放送された。ちなみに、この企画が初めて放送された回に、EXテレビ史上最高視聴率(平均12%、瞬間最高視聴率16%)を叩き出したが、初回の放送時に300本を超える苦情電話が殺到する事態となるなど、過激すぎる内容だったためか、合計2回の放送にとどまった。
また、この回がそれまでの生放送では対応できないとのことからVTR収録となり、後に木曜同様火曜もVTR収録に変更されるきっかけとなったという説もある。
EX裁判
出演者の悪行(?)を裁判形式で裁く形式で行われる。被告となったゲストの素行を証人ゲストが証言する、いわゆる暴露企画である。弁護士役に上岡、検事役に紳助が扮し、裁判長はチャンバラトリオの南方英二が扮していた。番組の最後に判決が下されるが、もちろん遊びとしての判決である(例えば、女癖の悪さを暴露された被告に「去勢の刑」を言い渡すなど)。東京版の最終回では、これの延長線上的な企画が「遠山の金さん」のパロディで展開された。
不幸自慢
不幸話を持ったゲストを呼んでトーナメント方式で繰り広げる予定の企画であったが、企画自体があまりにも盛り上がらなかったため、1回戦途中で企画を打ち切りゲストを交えてのフリートークに変更された。このため、スタジオに用意されたトーナメント型の巨大ゴンドラはほとんど使用されないままに終わった。
いきなり生電話
著名人ゲストを一人招いて、ゲストと親交がある100人の著名人をピックアップし、その中から無作為にいきなり電話をかける企画。山城新伍、中村勘九郎(現・中村勘三郎)らがゲスト出演した。無予告でいきなり深夜に電話をかけられた相手が、テレビをつけて初めてどのような事態であるかが解る様子が伝えられる、生放送ならではの企画であった。
新年会
新年1回目の放送企画、レギュラーゲストを招き、スタジオに組まれた宴会テーブルを囲んで、鍋をつついたり酒を飲んだりしながらしゃべくる様子を放送していた。
人間すごろく
こちらも新年1回目として放送された企画。スタジオ一面に作られた巨大すごろくの上を出演者自らがコマとなり、大きいサイコロを振って、止まったマスの指示に従いながら進む。途中ジミー大西にクイズを出題して、不正解だとペナルティーを受ける、などの理不尽な仕掛けもあった。結局番組の放送時間内にゴールにたどり着いた出演者は1人もおらず、企画倒れと悟った紳助がエンディングでカメラに向かって「ごめん、2度とせん!」と謝っていた。この企画の司会は大竹まことであり、総集編でVTRを見た上岡・紳助は「こういう失敗する企画は、我々はちゃんと避けてる」と語っていた。しかしこの企画も「100人聞いたら〜」に続き「スーパークイズスペシャル」でも紳助の司会で多少アレンジし1996年秋〜1997年秋の3回実施した。
自民党国会議員記憶
ジミー大西が、事前に当時の自由民主党の衆参国会議員全員の名前を記憶し、当日生放送で発表するというもの(細川内閣誕生前なので、人数は相当多い)。1時間の番組全部が、ただ延々と名前が繰り返されるだけなのだが(不正を防ぐためCMは番組の序盤にまとめて放送された)、異様におもしろく、越智通雄がなかなか思い出せずにつっかえるあたりで、最高の盛り上がりを見せた。ジミーは全員の名前を思い出すことに成功した。
ジミー大西のニュースコーナー
ジミー大西が今日起こったニュースを読み上げるという番組終盤のコーナー。あまりにもたどたどしい原稿読みに、上岡と紳助はハラハラしながらジミーにツッコミをいれていた。
小相撲
普段は体験できない、大相撲の世界を一般視聴者に体験してもらおう、という企画。相撲好きにもかかわらず、諸事情で大相撲の世界に入れなかった者から単に興味がある者まで、あらゆる参加者が来たが、『小相撲』なので、新弟子基準(身長・体重)を下回ることが条件だった。序盤はパロディの要素もあるので笑いも出たが、打ち止めの一番では、技術の確かな者同士であったため、とても素晴らしい対戦が繰り広げられた。
お暗いマンガ道場
当時、中京テレビ制作で人気のあった『お笑いマンガ道場』のパロディ。本家同様、漫画イラストによる大喜利で、蛭子能収(この企画には全て登場)、ひさうちみちおなど本職の漫画家も出演している。ウケは二の次で、深夜らしい、くだらない内容の問題が多かった。
ローカル芸能人売り出し企画
上岡がかつてそうだった、関西なら誰でも知っているが関東ではまだ認知が浅い芸能人を紹介VTRで紹介する企画。浜村淳、新野新、キダ・タロー、やしきたかじん、桂小枝、北野誠、桂雀々、タージンなどが紹介された。本人がスタジオに来ることもあった。
テレビの限界
テレビ番組を構成するあらゆるものはどこまで必要か、つまり、何がなくなったら放送できなくなるのか調べてみようという企画。通常のスタジオを構成するすべて(サブ=副調整室は含まない)を書き出し、それを一つ一つ退場させる。いきなりカメラを外そうとするが、そうすると元も子もないので、このときとばかり、プロデューサーやフロアディレクターを外していった。時間いっぱい使い切り、最後はカメラを外して暗転したところでエンディング。
視聴率調査機のある2600世帯だけにおくる限定番組
視聴率の信憑性を調べる企画。視聴率調査機のある視聴者に「今から1分間NHK教育にチャンネルを合わせてください」と呼びかけた。当時のNHK教育は24時で放送を終了しており、チャンネルを合わせても砂嵐のみであったが、この呼びかけに応じた視聴者はNHK教育にチャンネルを合わせた。その結果、この時間帯はビデオリサーチの視聴率調査で最高2%、ニールセン社で最高5.9%(これは当日のNHK教育テレビで放送された全ての番組よりも高い数字であった)もの視聴率をはじき出し、ビデオリサーチ社からクレームが来る事態にまで発展した。また、この企画は1990年に日本民間放送連盟賞番組部門テレビ娯楽最優秀賞を受賞した。
また、EX OSAKA最終回では「視聴率ゼロに挑戦」と題して、「視聴率調査機のある方は今日この番組を見ないでください」とも呼びかけた。
その他にも下記の番組・番組内の企画名はすべてEXテレビの企画で放送されたものが元となっている。

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スタッフ

テーマ曲 : 三枝成彰
日本テレビ
プロデューサー : 神戸文彦 / 吉田真
構成 : 山田美保子
制作協力 : ハウフルス(月)、ザ・ワークス(金)
よみうりテレビ
プロデューサー
豊永幸男(初期)
藤澤國彦(晩期)
白岩久弥(晩期を除く。談志のノンストップ落語の回と「最強のトリプル」のうちの一部の企画では演出も担当した)
ディレクター/プロデューサー(92年10月以降兼務)
梅田尚哉(火)
南中佑介(木)
ディレクター
竹内伸治(火)
西田二郎(火)
藤木康彰(木)
三好順作(木)
構成
(火)渡辺泰樹、倉本美津留、加藤卓、九十九一、西条昇
(木)疋田哲夫


Derek Jarman special
http://www.youtube.com/watch?v=nvW81eGQR68

(・∀・)好きでしたけどね〜終わるのはやすぎw

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