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戦争雑学コミュのノモンハンの戦い4

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ノモンハンの戦い最終回です。



ノモンハン事件はどのように終わり、どんな戦後処理がされたのでしょうか。


調べるほどに日本軍の杜撰さが浮き彫りになってきます。
よくこんな状況を放っておいたなって思えてくるくらいに。

なお、戦闘の経緯、戦果についてはここでは触れないでおきます。
いろんな書籍が出ていますのでご参照ください。


◎日本軍の被害状況
◎戦後処理


の2つの点についてお話します。


■日本軍の被害状況


日本軍の死傷者は約2万人であると申し上げました。

主力となった第23師団は戦力を8割消耗し事実上全滅しました。
さらに重要なのは連隊長、佐官級の将校の消耗です。
戦死、戦場での自決が6名、約半数に相当します。
尉官級はどんなものであったかは容易に想像できます。
いかに激しい戦闘であったかがわかります。

貴重な戦車も半数近くを失っています。
また、持参した火砲80門中、半数は損傷、撤退できず埋めたものが20門。
無事だったのは20門と約2割程度でした。


■戦後処理


この無茶な戦いの処理については忘れてはならない。
あきれてしまうような内容でした。

・生き残った現場連隊長の処遇

第一級の陸軍国相手に戦った経験には、生かすべき教訓が多く含まれます。
困難な戦闘をやり抜いた現場指揮官は貴重な存在であることが誰でもわかる。

にもかかわらず、現場で戦った佐官級将校には酷い仕打ちが待っていました。
彼らのうち3人は拳銃で自決しています。
自発的、というよりも誰かが拳銃を配って歩いたようにも思われます。
つまり、『死んで責任を取りなさい』という雰囲気だったのです。

また、一番激しい戦闘に参加した須見大佐を予備役に編入しました。
※火炎瓶でソ連軍戦車に多大な損害を与えたのは彼の部隊です。
理由は師団長小松原中将の命令に背いたからです。
彼の部隊は常に最前線で戦い、兵力を他へ抽出し、大幅に戦力が落ちていました。
にもかかわらず、さらに無茶な攻撃命令を出されたのです。
彼は守備の持ち場を離れると戦線崩壊につながるので不可能だと異議を唱えました。
実際には彼の判断が正しかったのですが、抗命の責任を問われました。
こういった理性的で優秀な軍人はその後大いに活躍の場があったであろうに。

・『小松原(師団長)には死んでほしい』

これは現地の最高司令官の荻洲中将の発言です。
現場で戦っている第23師団が負けているとの報を受けてのものです。
そこには自分の立場を守ることだけしか頭にないことが読み取れます。
将兵を思いやるどことか、他人事でしかなかったのです。
彼がこの戦いに関して何かをしたという実績も仕事の記録もありません。
ただの『事なかれ主義の官僚』、偉いおじさんでしかなかったのです。
数年後に予備役編入、軍人人生を全うしましたとさ、めでたしめでたし。
でも日本にとって本当にめでたしだったのかどうかは疑問です。

・服部・辻コンビ

彼らは形式上更迭されました。とはいっても予備役でもなく。
辻少佐は在漢口司令部付、服部中佐は千葉歩兵学校付という閑職です。
本来ならば、軍法会議にかけられてしかるべきなのに、です。
彼我の戦力差を見誤り、多数の将兵を死に至らしめた張本人ですから。
不勉強で無能な上層部を横目に彼らは好き勝手やりました。

数年後、またも2人はコンビを組むことになります。
それは日本を破滅させることにもなるのでした。
戦後、辻氏は戦犯になるのを恐れ、中国に潜伏していました。
時効になると帰国し、なんと国会議員に当選してしまうのです。
こんな人物が政治家になれる日本は、本当に戦争を反省しているのか疑問です。


******


一部、現場の将兵の健闘をことさら強調する書籍もあります。
日本は決して負けてはなかったんだぞって言いたげな感じで。
私からすれば『いい加減にしろ』の類です。

先方の被害が大きかったとはいえ、日本軍は悲惨な『負け』を喫しています。
各部隊とも壊滅的な打撃を受け、さらには物資も不足していました。
現地の軍にはもはや形勢を立て直すだけの力は残っていなかったのだから。
9月の停戦が遅れていたらさらに被害は拡大したでしょう。

一方のソ連軍は当時、早く戦闘を終わりにしたかったのです。
なぜかと言えば、独ソ戦が始まっていて、いつまでも日本と拘わってられない。
停戦と同時に、ドイツと戦うべく兵を欧州戦線に向けました。
その情勢に救われた、とも言えます。


******


長らくお話ししてきました。
まとめをしようと思います。


ノモンハンの戦いから日本は学ぶべき点がたくさんありました。

◎情報の解釈に主観を入れず、有効に活用すべし
◎兵站のあり方を大きく見直すべきだ

後に多くの戦場で同じ失敗を繰り返しました。
甘い見通しから作戦を立て惨敗し、補給不足で多くの餓死者を出すなど。

また、ここでは触れませんでしたが

◎兵力の逐次投入は間違っていた
◎日本軍の兵器の性能では一流国と戦えない

ことなども多くの専門家が指摘するところです。


1回目で『戦闘機談義や武器の話などはしません』と申し上げました。
たしかに現場の将兵は驚異的な戦いぶりを見せつけ、ソ連軍を驚愕させています。
しかし、『英雄譚』は責任追及されるべき上層部の所業を隠す結果になります。
同時にそこで思考停止をもたらすものでもあるのです。


よく日本の会社組織においては、こんな愚痴が聞こえてきますね。

『現場は権限少なくして責任ばかり多い』
『何かといえばすぐ現場のせいにする』
『上は現場のことなんて何にも考えていない』

これを読んでくださっている方にも思い当たるフシはあるのではないでしょうか。
私もこんな状況に直面したことが何度もあります。
実は、戦争中の将兵からもこんな発言は結構聞かれます。
昭和期の日本軍を知ることは、現代日本を知ることでもあるのです。



最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。

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