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戦争雑学コミュのノモンハンの戦い3

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ノモンハンの戦いの3回目です。



今回は戦闘の裏方に焦点を当ててみたいと思います。


戦闘は武器持ってドンパチやるだけではありません。
武器弾薬、食料や水といった軍需物資を運ぶ兵站だって重要なのです。
しかしながら、日本軍は伝統的にこうした業務を一段低く見ていました。


『輜重兵も兵隊ならばチョウチョ、トンボも鳥のうち』


こんな言葉に象徴されます。
これから

◎ノモンハンの土地柄
◎日本軍の物流
◎戦闘中に起こったこと

の順にお話してゆきます。


■ノモンハンの土地柄


1回目で『何もない平原である』とお話しましたね。
もう少し詳しく実情を観てみましょう。
※私は実際に行ったわけではないのでなんとも心許ないですが
いろんな書籍を読み、話を総合してみると

・背の高い樹木などがほとんど見られない
・ところどころに湖沼(塩分を含む)が点在する草原である
・舞台となった地域は九州ほどの広さであった

で、まず注目してほしいのは湖沼が塩分を含み、飲料に適さないことです。
この地域においては井戸水とハルハ河とその支流が貴重な水源です。
ソ蒙側がハルハ河の東10キロの領有を主張するのは水源確保のためです。
ノモンハンにおける利害の対立とは主に水の争いであったと言えます。
とかく領土問題にばかり目が行きがちですが、大事なことなんです。

また、実際にこの地に進出してみて日本軍はどういうことに直面したのか?
まず夏は日中、30から40℃近くになる高温と、きつい日光の照り返し。
反対に夜になると、真冬のように寒いんだそうです。
それから、蚊、ブヨ、南京虫といった吸血性の虫が将兵を襲いました。
こんな場所をみなさんは想像できますか?
戦闘で消耗してなおかつこんな過酷な風土とも戦わねばならなかったのです。
地図を広げているだけでは分らないことも多いのです。
軍首脳部はこうした実情に合わせた作戦立案を行っていませんでした。


■日本軍の輸送手段


第一次世界大戦後、20年間で世界の軍事技術は格段に進歩しました。
でも、日本はその流れから大きく遅れを取っています。
戦車、火砲など個々の兵器ですら二世代くらい旧式のものだった。
まして、兵站になど考えがおよぶべくもなく、それは貧弱なものでした。

1930年代後半にはトラック輸送が世界の主流になっていました。
日本はどうかといえば、トラックはあるものの、その絶対数が不足していました。
だから主力となるのは馬と大八車でした。
言い換えれば日露戦争のころとなんら変わっていなかったのです。

ノモンハンにおいても火砲は馬が引き、弾薬だけはトラック輸送。
※余談ですが、火砲の多くの車輪はゴムではなく鉄と木製でした。
後世からみればなんとも『のんびり』やっているように思えてきます。

ちなみに戦闘が行われる地域に歩兵はどのようにして行ったと思いますか?
200?以上『歩いて』の行軍でした。
20?近い装備を背負って4?の小銃担いで、一日の距離は40?ですよ。
それだけでも疲れてしまうのに、到着してすぐに『戦闘開始』。

上層部には、兵士への気遣いなどない、非人間的な連中が占めていました。
なんでも拙速を尊び、ロクにものを考えず、やたら好戦的。
こういう所業を簡単に忘れ去っていいものでしょうか?

かたやソ連軍はトラックで兵器も物資も短時間で大量に送り込みました。
もちろん、兵員だってトラックに乗って戦場に到着しています。
兵力、火力の面だけでなく、兵站面でもソ連軍に圧倒されていたのです。

それから、日本軍の拠点から戦場まで200?と申し上げました。
ではソ連軍の拠点からはどうであったのか?400から450?であったそうです。
日本軍首脳部は『ソ連軍は我々よりも拠点から遠いのだから不利だ』と考えました。
日本同様に馬車に大八車の感覚で捉えていて、思考の前提が間違っていました
つまり、兵站においても自分達と同等であると『勝手に思い込んでいた』のでした。


■戦場で生じた物資不足


日本軍は、実際の戦闘において物資不足に関する多くの問題に直面しました。
すべてを紹介できませんので、象徴するような話を2つ挙げておきます。

・水が足りない

日中、猛暑の中を歩いて行軍するわけですから、のどが渇きます。
でも、武器弾薬の輸送を優先させたため、いつでも水不足。
しかも現地にある湖沼の水は塩分を含んでいるため飲めません。
そんなわけで、戦闘中通して渇きとの戦いであったのです。
※水分補給をさかんに訴える現代では考えられませんが

・仮設橋が足りない

第二次ノモンハン事件における作戦は『ハルハ河を渡って』行うものでした。
そして橋などかかっているはずもありません。(あれば事前に爆破するでしょう)
だから、仮設橋が必要になります。

でも、1本の訓練用の小さな仮設橋しかありませんでした。
馬一頭通るのがやっと、車が通過する際には全部荷物を降ろさねばならない。
ソ連軍の飛行士がその様をみて『橋を要に扇状になっていた』と回想しています。
つまり、日本軍が橋の手前で混乱しているときに上空から攻撃を受けているのです。
で、渡りきったら敵が待ち受けていてすぐ戦闘開始。
こうして書いていて情けなくなってくるような有様でした。

なぜか?中国戦線で使うために持っていったため、余分がなかったのです。
こんな状態でよく戦などできるものだって思えてきます。
細部の詰めが甘いとしかいいようがないですね。
軍首脳による机上のいい加減な作戦立案がここにも露見しています


******


私達は、この旧日本軍の杜撰さを嗤うことなどできないと思います。

上層部が机上でいい加減な計画を立て、細部も詰めずに現場任せ。
いざ実施してみると、現場は大混乱、お客さんに多大な迷惑を掛けた。

この手の話をどっかで聞いたことがありませんか?
現代の企業不祥事において、こんな例をいくつか挙げることができます。
某銀行の合併統合直後のATM誤作動、宅配荷物遅配をやらかした某運送会社など。
日本型組織の慢性病であるとも言えます。



次回が最終です。
戦闘の結果と人事面についてお話します。

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