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戦争雑学コミュの沖縄戦について考える 7

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沖縄戦についての特集最終回です。



◇戦闘の推移


○米軍上陸

昭和20年4月1日に米軍はほとんど無傷で上陸し嘉手納、読谷飛行場を手中にしました。
しかし日本軍からすれば、ここまでは計算済みでした。
前線の部隊からは攻撃要請が出ましたが絶対にするなと厳命しました。
砲台の位置が露見し空海の攻撃により潰されることを恐れたためです。


○攻撃要請

戦闘の推移を見守っていた大本営、台湾は焦りました。
そして参謀長である長少将あてに攻撃せよと申し入れました。
高級参謀八原大佐はそれら意見を断固として受け付けず、攻勢に出ませんでした。
しかし、守備隊内部にひびが入り彼は次第に孤立してゆきます。

外野が現場に介入するするなど、あってはならないことなのです。
戦闘の推移は現場にしか分らないもの。
しかも、作戦の内容は事前に許可を出しているわけですから。



○作戦は図に当たった

優勢な米軍を相手に日本軍は善戦し、米軍は損害を増やしてゆきました。
4月10日までは米軍のほうが被害が大きかったといいます。

日本軍の損害も大きかったが、主要陣地は守りぬいている。
しかも、全兵力を投入していたわけでもなく、予備を温存していました。
”このままいけば”もっと米軍を苦しめることができたはずでした。


○日本軍の総攻撃

再三にわたる中央や台湾からの攻撃要請で守備隊内が揺れていました。
断固防衛を主張する八原大佐の意見を退け、全兵力でもって攻撃をかけました。
しかし、火力兵力が優勢な米軍に勝てる見込みなどありませんでした。
上陸直後ならともかく橋頭堡を築いてからでは時期を逸しています。

結果はどうであったか。
米軍に損害を与えたのは事実です。
しかし、戦果は当初の持久戦ほどのものではありませんでした。
主力の大半を消耗し、砲弾も打ち尽くしただけで全くの失敗でした。
同時に沖縄守備隊の運命も決まりました。

ただの精神論だけで勝てる見込みのない攻撃を仕掛けたのは痛恨の極みです。
米軍は戦後、この攻撃を”莫迦げたもの”として酷評しています。
一方、戦後の日本では旧軍関係者を中心にこの攻勢の失敗をかばっています。

これは私の考えですが。
自分達の不見識を悟られまいとしてかばっているのではないか。
そして日本の旧軍関係者が八原大佐をことさら悪く言うのもそのためだと思います。


○首里放棄

精兵を失い、砲弾も撃ち尽くしましたがそれでもまだ日本軍は陣地を守りました。
しかし、米軍はいよいよ司令部を置く首里に迫ってきました。
5月22日、日本軍は大雨にまぎれて首里を放棄し喜屋武半島に南下しました。
一日でも米軍の日本本土侵攻を遅らせようとする意図からでした。
首里を守っていてもいずれは崩壊するであろう。
だったら陣地が造られている喜屋武半島に後退しようというものでした。

しかし、次第に追い詰められ、6月23日、高級将校の自決により組織的戦闘は終了します。


この南下という決断が正しかったのかどうかは難しいところです。
首里で戦い、玉砕していたらこんなに市民が犠牲にならずに済みました。
しかし、一日でも長く戦闘を続けるという観点からすれば一理あります。
※市民の多大な犠牲を前にしてこれが”正しい”と断言する勇気は私にはありません。



    ◇    ◆    ◇    ◆



以上長く沖縄戦についてお話してきました。
準備段階から日本軍の情けない点がいくつも観られました。


『戦争全体を見渡すことができていなかった』


そのために起こった悲劇であるとも言えます。
連合軍の日本本土への侵攻を許したら国土は荒廃します。
本土決戦に持ち込むなどありえない話なのです。
だから沖縄を決戦場としなにがなんでも阻止せねばならなかったはずです。
それなのに”本土決戦”など莫迦げたことを考えていました。


☆主力の精鋭師団を台湾に転用させ、大幅な戦力減となった
☆飛行場をたくさん造らせ、結局使わずじまいとなった
☆陣地造成のための機材提供など十分な支援をしてこなかった
☆戦時であるにもかかわらず、意味のない定期人事異動を行った
☆場当たり的な指示を繰り返し、中央と現場の意思疎通が不十分だった


こんなお粗末な有様でした。
日本は一体どっちを向いて戦争していたのでしょうね。
そして沖縄での敗戦が確定してもまだズルズルと戦争を続けました。
”ご聖断”がなければ終わりをつけることすらできなかったのです。

ただ、沖縄守備隊の将兵(市民も含め)は不利な状況下でよく戦いました。
沖縄のがんばりが本土を救ったという見方ができます。

司令官の牛島中将は連合国から優れた軍人のひとりとして選出されています。
※私個人は砲兵団の和田少将と作戦を立案した八原大佐の功績だと思います。


繰り返しますが。
戦争はいけないってそこで思考を止めてはいけないと思います。

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