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戦争雑学コミュのA級戦犯 〜松井石根大将について

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このコミュニティで何度か言ってることですが。
A級戦犯という定義。これが確かなものなんだろうか。

日本人の多くは盲目的にA級戦犯を”戦争を指導した悪い人”という教科書の教えを信じています。でもそれは本当か。

今回は松井石根大将についてのお話です。
このひと、南京戦の指導者、つまり南京大虐殺を指揮した人物という位置づけです。処刑された7人のうちの1人です。
一方で彼のことを昭和の名将と評価する向きもあるんです。なにが本当なのか。


1.上海事変


時は昭和12年(1937年)。いまからちょうど70年前ですが。上海事変という軍事行動がとられました。歴史の教科書ならば”侵略した”と書かないと怒られますが。
作戦の目的は上海の居住民、主に日系企業の従業員の安全の確保です。共産党の息がかかったゲリラが進出し、治安が不安定になました。

当時、上海は国際都市でした。欧米列強が進出し”租界”を形成していました。日本も例外ではなかった。


2.蒋介石の翻意


歴史の教科書にでてくることですが。
張作霖の息子張学良は、蒋介石を監禁し、共産党に協力し共に日本と戦うよう翻意させます。そして日本の士官学校に留学し親日家であった彼は、抗日へと路線を変えます。大学受験の世界史問題では”西安事件”といいます。
そして蒋介石は上海へと兵を進めました。そうなると日本の居住民が危ない。


3.松井大将の出陣


当時、彼は59歳。日露戦争にも参加した古兵で退官寸前でした。それが命令を受け、上海進出の指揮官となります。

彼は、軍の規律、中国での治安維持に神経を使った人でした。
当時、軍隊といえばどこの国でも相当タチの悪い集団でした。略奪など平気でやるような。でも日本軍は違いました。不正行為には厳罰を持ってのぞみました。

また、上海が国際都市であり、米英仏などの列強が進出しているため、かれらに危害を加えないよう配慮しました。へたをするとこれら列強まで敵にまわしてしまうから。
同時に欧米の記者と積極的に交わり、日本の立場を国際的に訴えようと尽力している。当時、ここは各国の特派員が駐留する情報都市でもあったんです。

かれの指揮する軍は苦戦しながらも上海を制圧しました。
ただの猪突猛進型の将軍でも無能な将軍でも決してない。
名将に値する動きでした。


4.南京攻略


蒋介石は、”南京は重要な拠点であり、なんとしてでも死守する”方針でした。そして日本軍は南京を攻略する方向で検討しました。

ここでも松井大将は軍の規律を守るよう細心の注意を払いました。実際、軍の規律は本当によく守られていました。

当時、南京には日本を代表する言論界の大物が集結していました。三宅雪嶺、大宅壮一、西条八蘇…ひとりとして悪いことを書いていません。

そしてこの戦闘終了後に彼は帰国し、予備役に編入されます。


5.興亜観音


松井大将は、一連の軍事行動での死者を弔うために伊豆に”興亜観音”を建立します。これは日本人だけでなく中国人も対象になっています。

かれは誰よりも中国通で、アジアの繁栄を願っていた人物なんです。そんな人物が巣鴨プリズンに収容されてしまうんです。歴史とは残酷なものですね。


6.戦犯指定


戦後、彼は”南京において捕虜、一般人、婦女子等に虐殺、暴行を加えた罪”で戦犯の指定を受けました。この事件を語ると長くなるので別な機会にお話します。
彼は見に覚えのないことであり、真っ向から反論していますが聞き入れず汚名を着たまま処刑されてしまうんです。


ここまで読んでみてどうでしょう。
松井大将が果たして極悪人なのか。
私にはとてもそうは思えません。

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