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クリスチャンコミュのクリスチャンとうつ病

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私の友人のクリスチャン(女性)がうつ病で苦しんでいます。病院に通って、お薬を飲んで大分よくなってきたように思うのですが、
問題は彼女の夫(クリスチャン)の病気に対する理解のなさです。

彼は、信仰によって神様が完全に癒してくださるのだから、薬を飲むのはやめろ、と言うそうです。苦しい症状がでたときも、とにかく祈るしかない、と言うそうです。私には、彼のこのような態度が彼女のうつ病を悪化させているように思うのです。

信仰があったって、うつ病にかかります。牧師もうつ病になります。私の教会の前牧師もうつ病で、休職中です。その先生はいつも言っていました。うつ病は「心の風邪」で、誰でもかかり得る。きちんと治療を受けて、薬も飲んでいれば必ず治る。信仰と病気は無関係だと。

みなさんは、うつ病について、どう思いますか。また、関西方面で、良いクリスチャンドクターがいたら、教えてください。
友人夫婦は、二人でカウンセリングを受けたら、良い方向に向かうのではないかと思います。たぶん、そういう病院は予約待ちがすごいと思いますが、よろしくお願いします。

コメント(49)

珍しく感情的になってしまい、大切なことを書き忘れましたので追記します。
一番の慰めはやはり「聖書」でした。いまでもそうなのですが、気分が落ち込みかけた時に「あぶないっ」と思って聖書を開くと、そのページが旧約か新約かにかかわらず、かならず素晴らしい言葉に一度で出会うということ。そして勇気づけられるということ。それでもなお、悪化すると肉体の疲労とわけのわからない妄想にとりつかれて自分が消えてしまいます。
どんな病気でもそうですが、たとえば歯が丈夫で一度も虫歯になったことがない人には、虫歯の痛さってわかりませんよね。うつ病も同じです。しかも、「精神病」という言葉のせいで、周囲にカミングアウトすると必ず離れていく友人がいる。残念ですが、それが事実です。たくさん友人を失いましたが、逆に、本当に大切な人がわかりました。その方のご主人が現実を見つめてくださればいいのですが…。
私も鬱病のクリスチャンです。
パニック障害でもあります。

みなさんが書きこんでおられること、
本当にそのとおりだなと思います。
特に、たっちんさん、かえひゃんさん、
全く同じ思いです。

私の場合は、神さまに愛されていること、
イエスさまが共にいてくださること、
そしてひとりの友人が支えです。

ある時その友人が
「治らなくてもいいじゃないか。」
と言ってくれたんです。
治さなくちゃ、早く治りたい、と
思いつめていた時期だったので
急に力がぬけてラクになりました。
鬱でも、鬱でなくても私を
大切に思ってると言ってくれた友人に
本当に感謝しています。
はじめまして、信仰していても鬱病にかかる人が、
多くいます。
私の前に通っていたチャペルでは、
心の病の人が6、7人いました。

牧師に、なぜ多いのですかと聞きましたら、
牧師を頼って来るので、また、次の友達(心の病)
が、頼って来ると言っていました。
また、牧師が、心の病の人を癒す賜物を持っていると
言っていましたが、一般信徒の批判もありました。

鬱病の人は、チャペルでの礼拝後の昼食後に、
薬を飲まれていました。
やはり、薬を飲んで肉体の安定をはかり、
精神面は、聖書の御言葉によって癒されるように
して行かれた方が、心の安定に繋がると思います。

信仰だけでは、イライラしたり、パニックになると
本人も、より辛い思いをしてしまいます。
薬と信仰(祈り)の両方をして行かれれば良いと感じます。
友人の人、直ることに希望を持ってください。
私も、祈っています。
私も精神科に通っています。
私は、鬱病が抑鬱神経症になり、パニック障害が不安神経症となってから洗礼を受けたのですが(症状が軽くなったことで救われたとかそういう理由でではありません…)、人格障害という性格の強い偏りにより、社会生活でも非常に不自由を感じています。

うつ病の人間は、どうしても自分を否定してしまいがちになり、また、自分は孤独だと思ってしまいます。

私が通っている教会には、鬱病や、パニック障害など、精神的な病気を経験した人は少なくありません。
ここに書いて良いのかわかりませんが、牧師のお父様もアルコール依存症でした(クリスチャンでした)。
クリスチャンだから、心の病にならないということも無いし、祈れば治るようなものでもないと思います。
心が弱いから、信仰が弱いから、病気に現れるものでも、もちろん無いと思っています。

時に、症状が悪いときには、人を拒絶し、神をも拒絶したくなります。
特に、神様で満たされている人たちがたくさんいる教会に行くのは、非常に苦痛でした。

ご友人の旦那様は、薬なんかいらないということをおっしゃっているようですが、確かに、「薬だけ」ですっかり治るということは難しいと思います。けれども、薬も必要なのです。

薬で症状を軽くして、神様へ手を延ばす心の元気を取り戻すことは大事なことだと思います。
それが出来なくて、私はずっと神様を拒否していました。
(これが、洗礼を受けられなかった理由です)

私にとって神様とは、どんなに私が自分のことを否定していても、私のことを否定しない、そして、いつまでも待っていてくださって、私のことを手放さないでいてくださる、心強い存在です。
鬱病は(というか心の病を持っている人は)どうしても自分は無用な人間だ、駄目な人間だと、否定してしまいます。
薬なんかいらないと言われれば、薬は飲んではいけないんだと思い悩み、祈れば治ると言われれば、それでも治らない自分は祈りが足りないのかと思い悩み、そのような思考は鬱病を悪化させるばかりだと、私はそう思います。

鬱がひどいときは、文字を読むのもままなりません。聖書を読むのもツライです。
(なので、私はまだ通読したことがありません…。)

鬱が良くなってきて、あと一歩、の時がきっとやってくると思います。
薬が劇的に効かない、調子がいいときもあるけれど、調子が悪いときもある…。そんなときが来ます。

きっと長いと思います。
私もそのような状態で2年経ちます。

クリスチャンカウンセリングというものに、最近、力を入れているようで、教会関係者向けに本も出版されているようですね。
ちょっと調べてみたら
「キリスト教カウンセリング〜理論と実際」鄭正淑(趙善江/訳

こんな本もありました
「心の病とキリスト者の関わり」工藤信夫
「心悩む者に神宿る」平山正実

(いずれも、内容についてはわかりません。すいません。)

私も、キリスト教という信仰とカウンセリングを両方わかってもらえるところを探していますが、キリスト教系の大学病院でカウンセリングをやっていても、電話をして聞いてみると、医療行為に宗教色は入れられないと言うことで、難しいと言われてしまいました。

ともあれ、ご友人の旦那様には信仰とは関係なく、鬱病という病気についての理解、強いてはご友人(奥様)に対しての理解を深めてもらえたらいいな、と思います。
一緒に診察を受けたり、カウンセリングを受けたりして。。。

どうぞ、ご友人に、一人ではなく、神様や、兄弟姉妹がいることを忘れないでいてくださいとお伝えください。私たちはずっと一緒です。

神様は、乗り越えられない辛さを与えないということと、弱い物にこそ神様の愛が現れるんだと(勉強不足で御言葉として出てこなくてごめんなさい)、そして、自分がこの痛みを知ることで、痛みを分かち合うことが出来るんだと、そう思って、辛い時を乗り越えています。

長くなってしまいました。

どうぞ、ご友人、その旦那様に道が与えられますように。
みなさんの書き込みを読んで
本当に苦しい思いの方々が
たくさんおられることにつらくなりました。

イクさんのお友達とそのご主人のため、
そして、ここに苦しい思いの中から
信仰の証しをしてくださった方々のために、
お互いに祈りませんか?
日々のお祈りに加えて、共に祈ることで
支えあいましょう。
お祈りで治そうというのではありません。
癒しの賜物も信じますが、
生きる力と希望を求めて祈りましょう。

「今日、あなたに祈られている
 だから今日は生きている。」
そう言った鬱病の仲間がいます。
祈りは聖霊によって導かれた
最も力のある業です。
 数名の方が同じような内容を書き込まれているので、蛇足かもしれませんが。なんとなく、いまだ「鬱病」が誤解されている印象を受けるので、あえて書き加えます。
 「鬱病」は、罹患した本人が努力してどうにかなるものではなく、脳内物質やその受容体の異常からくる、歴とした「疾患」です。ひらたくいえば、胃潰瘍や癌、膠原病、内分泌系の疾患(甲状腺など)…など、もろもろの病気と同じです。その部位、発症する形態がたまたま精神に強く関与している、というだけです。
 ですから、そういった物質をコントロールする治療を行わなければ、まず治りません。あらゆる病気を「信仰で治せ」というのであれば、どこぞの新興宗教となんら変わらないのではないでしょうか。
 もっとうがった言い方をするのであれば、怪我をしたとき、「信仰で治せ」など、誰が言いますか? それではまるで、イエスを試したサタンの物言いです。おかしいでしょう。
 鬱病など精神科領域の疾患を「心の病」と表現される方もありますが、聞く人に誤解を与えてしまいそうで、あまり好きな表現ではありません。
 まずは、病気を正しく理解し、周囲の方々にもよく理解していただくことが第一歩でしょう。精神科の疾患を本人のせいにするのは、何十年も前の誤解、偏見でしかありません。

 鬱病に精神的なストレスが関与していることは否定しません。ですが、精神・肉体的なストレスは、あらゆる疾患に関与し、それを悪化させています。精神科領域の疾患が特別、というわけではありません。休息をとることは、全ての疾患に有効であるはずです。
 周囲の方々が鬱病に正しい理解をもっていないのであれば、それは長い時間をかけてすりこまれた先入観である可能性も高いので、時間をかけて理解してもらうしかないのではないでしょうか。もちろん、医療機関で(家族にも)しっかりと説明をしてもらえば一番なのですが・・・。
はじめまして。以前にこの分野が職業になっていたこともあり、役に立てればと思い、書かせて頂きます。
 まず、うつ病ですが、これは精神病ではなく現代では神経症と呼ばれています。呼ばれていますというより治らない病気という意味の精神病とは今や区別することが必要、と言うところにあります。表現からするとうつは風邪と同じ、ということを認識する必要があります。現代では誰がなってもおかしくない、という意味です。私自身はうつではないのですが、職場では多くの人、特に30代の方が掛かりやすい、というのが実感です。クリスチャンだけが多いとは思いませんが、特徴は責任感の強い方がなりやすい、というのが現代の傾向だと思います。
 また、この分野は精神科と心理学という行政の区割りの違いにより、定まったシステムが出来ないことで混乱がある、ということも言えると思います。
 一口にカウンセリング、カウンセラーといっても精神科と心理学では違いがあるところが、この困難を生んでいます。臨床心理士、産業カウンセラーの違いとか・・・。
 どなたかが発言されていますが、キリスト教と神経症を安易に結びつけるのは、危険だと思っています。誰も風邪が信仰だけによって治るとは思っていないのと同様です。治ったという方がいるのも事実ですが。
 日本の現状を見る、と意味では以下のHPをご紹介したいと思います。
http://www.js-mental.org/teigen/2005hakusyo.pdf
 年寄りの冷や水、とも思いますが、ご参考になれば幸甚です。
 
こんにちは。
私は境界性人格障害ゆえに鬱を患っていまして、関連コミュも管理しております(コミュ紹介トピをどうぞ)。

鬱病って、なかなか理解されないからつらいですよね。
私は家族(しかもこいつもクリスチャン…)から「病気じゃなくて単なる怠け病だ」と毎日のように言われています。

幸い理解してくれている多くの友人に支えられ、なんとか踏ん張っています。

私が精神科のお世話になりだしたのはクリスチャンになってからですので、正直言って神様を罵倒することはしょっちゅうです。
「祈れませーん」と愚痴るばかりか、ひどいときだと「おめー、うぜーんだよ!」なんて言ったこともあります。
ええ、神様に向かって。
「ほんとは、私のことだけは見捨てようと思ってるでしょ!」って、疑ってかかったり。

しんどくて外出もままならない時もあったんですが、家よりは桁違いに居心地がよかったんで、教会には通えていました。
そこで牧師に言われたこと。
「『祈れません』って言うのも、立派な祈りですよ」。

これで、ずいぶん楽になった覚えがあります。

これは鬱病に限りませんが、病気になった時、通常はお医者のお世話になりますね。
クリスチャンは、それに神様の力が加わるのが、強みなんではないかと。
薬も、お祈りも、どっちも大切。

自分に精神科のお医者さんを探すのは、他科に比べ、かなり大変です。
きついことを申し上げるなら、たとえクリスチャンであったとしても、自分にとっていいドクターかどうかは保証できません…。
ドクターがクリスチャンで、いい先生ならベストですが、あまりこだわる必要はないんじゃないかな?
たとえノンクリの先生だったとしても、クリスチャンである患者に理解を示していれば、オッケーだと思います。

ちなみに私の主治医は、お祈りしながらタウンページをめくって見つけました(笑)。
ノンクリですが理解は示してくださるようで、波はありつつも調子よくなってきているので、そこは感謝です。
私は、神様が、この先生を与えてくださったんだと信じています。
余談ですが、東海地区でも名医と評判だ、と知ったのは、つい最近のことです。
どうりで最近混んでるわけだ…(笑)。

長文失礼いたしました。
権三郎の妻さん、おやびんさん、kenさん、狂水さん、shirokamiさん、カトウリョウタさん、ありがとうございます。

みなさん、親身になってくださって感激です。見ず知らずの友人のために考え、祈ってくださること、すばらしいです。これこそクリスチャンの愛ですね。友人は私の親友で、学生時代、私が教会に誘い、洗礼を受け、同じ教会で知り会った男性と結婚しました。本当に心配です。みなさんのご意見を聞いてますます、今彼女がおかれている状況が、病気を悪化させるのではないかと不安になってきました。

こうしてここに書きこんだことも、神様の導きでしょう。私は、
彼女にとって、最後まで味方になり、祈ってあげられる存在でいたいと願います。また、なんとかして彼女のご主人に、理解してもらえるように、考えてみようと思います。本当に、ありがとうございます。
あみいさん、ありがとう。

祈ってタウンページをめくる、っていいかも知れませんね。
まずは、真剣に祈ってみます。
鬱&パニック障害を持つ者です。
まだ洗礼準備中です。
私自身も、主人も、同じ医師に通っています。二人とも鬱なので、たまに日曜礼拝へいけないこともあります。

うつについては、他の方が細かく書いてくださっているので、追記はしませんが、本当に周囲の理解が治療に不可欠な病気です。

神が完全に癒してくださるために、どうしても通院や薬は必要です。
主は、医師を介して、私たちを癒してくださいます。もちろん直接癒してくださることもあります。でも、主は必ず最善の方法で祈り求める者を癒されます。

イクさんのお友達に、大きな救いがありますよう、祈っております。
>たっちん様、
貴重なご意見とは思いますが、母と私がかかっていた精神科医は、家族はできるだけファミリー・セラピーの形で治療するのが望ましいと考えておられました。

ご主人が治療に同席した方が良いか、お一人で治療された方が良いかは、ケース・バイ・ケースで、先生に判断していだだく方が良いと思います。

どなたかも仰ってましたが、私もお医者様がクリスチャンである事に拘る必要はないと思います。むしろ、違う宗派のクリスチャンだったりしたら、却ってはなしがこじれるかも……

余談ですが、カトリックではかって自殺は最悪の罪とされ、自殺者は教会内に埋葬される事すら禁止されていました。そらが緩められたのは、自殺者の多くが鬱病患者である事が認識され、本人の意志に依るものではないと、理解されるようになったからだと、私は解釈しております。
こんにちわ。

みなさまの発言とほぼ重複いたしますが…私なりに。イクさまのお友達に直接お話するようなカタチで書きたいと思います。

私も9年ほど前から虚弱体質とそれに伴う鬱病で、現在も心療内科に通院して、抗鬱剤や睡眠薬がないければまともに生活できない状態です。
リスカ、アムカ、フッカから自殺未遂まで幾度となく繰り返しています。

まずはみなさまのいうとおり、鬱病も、一般の病気(風邪から内臓疾患まで)と同じく、信仰とは無関係問題ということです。

鬱病は精神というよりは、脳の物理的な問題からくる病気です。それを治すには医者の指示の元で、適切な薬を服用して、脳内物質の循環を整える必要があります。
鬱病は処置が遅れると死亡率が高くなります。突如、前触れもなく、自殺してしまうケースが多いからです。

私の主治医が繰り返し言っていることは「精神論は絶対にやめてください」とのことです。
まず、気の持ちよう、とか、信仰があれば、という考えはとにかく捨て、投薬と休養をすることが重要とのことです。しかも年単位のプロセスとなります。

周囲の理解も不可欠です。鬱病=怠け病、軟弱、と偏見を持っている人やまったく理解できないという人がまだまだ多いのが現実です。とにかく、医者やインターネット、書籍などで自分も含めて、周囲の人に正しい医学的知識を持ってもらう努力が必要になります。
なんでわかってくれないのと泣きたくなったこともありますし、鬱状態でしんどいのになんでこんな啓蒙活動しなくちゃあかんねん(泣)という感じですけれども。

(「鬱病は脳医学の問題と捉えるのが最先端の良識なのだよ。精神病と捉えるのはいまや迷信。そんなの原始人レベル」という風に相手の知性に訴えかけると効果的です←私の経験)

通院してからも長い道のりです。(私は9年かかってますがまだまだです)
 自分に合う薬と出会うまではお医者さんと試行錯誤の繰り返しになります。すぐに治るケースのほうが少ないと思うので、「こいつはヤブ!」と思わず、とにかく長期プランで療養してください。

 その上で、「いつかは必ず治る」「こういう病気になったのにも何か神様のご計画。いつか恵みと思える日が来る」と信じて祈っていくことが闘病生活を支えてくれると思います。

私自身もいまだ治療中の身ですし、自傷や自殺未遂をした死にぞこないですが、そんな経験があったからこそ、同じ病に苦しむ方にアドバイスができる恵みがある、生きていればいいことがある、自殺未遂したって神様は見捨てない!と断言できると受け止めるようにしています。

イクさまと、イクさまのお友達、あらゆる病で苦しむ方々のためにお祈りしたいと思います。みなさま、ゆるゆると病気をやりすごしていきましょうね。

ラルシュ共同体創立者ジャン・ヴァニエ著作『うつを越えて(女子パウロ会)』からの言葉で祈りを捧げます。

「うつは自分ひとりでは治すことはできません。だれかに助けてもらいましょう」

「苦痛から解放されて、新たな生を見出すためには、ときには大声で泣いたり叫んだりして、痛みや怒り、失望を表すことも必要です」

「うつは自他に隠すような恥ずべき病ではありません」

「心の傷は、神を愛し、他者と一致して生きるための、熱い呼びかけであり、招きなのです」

「うつと闘うのは、生きて、他の人に生をわかつため」

主の平安がみなさまにありますように。
おはようございます。
ここ一週間、朝早く、自然に目が覚めるようになりました。
これだけでも、奇跡的な回復です。
皆さんの言葉をよみながら、つくづく考えました。
うつ病による具合の悪さは人によって異なること、効く薬もひとりひとり違うということなど…。
冷静に読み返せば、僕の書き込みはいささか乱暴でした。でも、もしかしたらそれがかえって良かったのかもしれないとも思っています。立場が異なる方のさまざまなご意見を引き出すことができたのかもしれませんから…。
本当に、ケースバイケースなのです。主治医の考え方だってもちろんそれぞれです。僕はもしかしたら一生抗うつ薬を飲み続けなければならないのかもしれません。でも、そのことを悲観してはいません。受け入れています。

夏の日の朝焼けもきれいです。
これから散歩にでかけます。イクさんのお友達の方や、このトピに書き込まれた全ての方に健康な日々が訪れることを祈りながら。
みなさん、ありがとうございます。

みなさんからのレスをプリントアウトして、友人に送ってあげようと思います。同じ病気を抱えながら、信仰をもって歩んでいるみなさんのお言葉をよんだら、彼女にも励ましになるのではないでしょうか。彼女が必要と判断し、彼女のご主人にも読んでもらえば、少しは病気に対する彼の偏見がなくなるかもしれません。

どうでしょうか?
いや、偏見をなくす前に、
奥さんと一緒に病院に行って
医者から病状について説明を受けたほうがいいと思います。

うつ病も長く続くと、精神障害者として、
障害年金の対象になる場合があります。
ご主人も一度は、一緒に病院に行って医師の説明を聞き、それでやっと、彼女がうつ病だと認めたようです。しかし、病気そのものに対する理解ができていないのだと思います。

彼は大学(30年前)で心理学も勉強したようで、彼の知識からの判断によると、奥さんは「不安神経症」もしくはノイローゼだそうです。うつ病に対する知識は学んでいなかったのだと思います。

最初に病院に行ってから、まだ半年くらいですが、そのとき医師に半年くらいで病状は回復する、と言われたと私に話していました。
だから、半年たって薬の効果も現れてきて、もう完全に治ったと思っているのかもしれません。半年で完治するような病気ではないので、困ったものです。
鬱が心の風だという表現がありますがそれは次の点が似ているからだと理解しています。

寒い中、水に濡れたままで放っておかれるような状況があると罹りやすい。もちろん鬱の場合は精神的状況です。鬱の人は頑張りやさんで自分の状況に気がつかないことが多いのだと思います。
だから周りに鬱の人がいたら気持ちの良いタオルでその人をつつんで挙げるようにしてあげたいですね。

教会で鬱の人を見かけるのは会社などで出せない面をさらけ出しているということもあると思います。
>31: イクさん
>彼は大学(30年前)で心理学も勉強したようで、彼の知識
>からの判断によると、奥さんは「不安神経症」もしくはノイ
>ローゼだそうです。うつ病に対する知識は学んでいなかった
>のだと思います。
>
 心理学を学んだことが、理解の障壁になっている可能性が高いですね。しかも30年前ですから、よしんば鬱病を学んだにしても、正しい理解はできていないと思います。
 過去に何かしら「学ぶ」と、それに固執してしまい、新しい知識を入れられない、というのはよくあることです。実際、ゴルフスクールなどで一番厄介なのが「教師」や「医師」など、知識を持ち、それにプライドを持っている人たち、いわゆる「先生」と言われる人たちだそうです。インテリは頭が固い、と。

>最初に病院に行ってから、まだ半年くらいですが、そのとき
>医師に半年くらいで病状は回復する、と言われたと私に話し
>ていました。
>
 もちろんこれは見当違いなわけですが、そもそも現代医療で「完治する」病気なんて稀です。治らない病気の方がよっぽど多い。
 そして、こういった場にありがちな話なんですが・・・医師からの説明を受けた場合、大概その100%は理解不能で、都合のいい部分や、分かりやすい部分だけ抜粋して「解った気になって」いることが考えられます。
 医師は大抵慎重に、病状は重め、治療は効かない可能性を考えて話をしますから(必ず治ります、なんて言って治らなかったら訴えられますしね)、「半年で回復する」などという話をするとは考えられません。
 ありうるとすれば、「半年で改善の方向に向かい始める」とか、「半年もすれば少し症状は落ち着く」・・・くらいでしょうか。接頭語に「うまくすれば」とか、「薬がうまく効けば」とか、つくかもしれませんが。
 それと、本人の前では当然、楽観的に話しますからね。それを御家族が全て真に受けて、病気を自分で学ぼうとしないのは、ちょっと・・・。「先生からこう言われたから大丈夫」ではなく、「どんな病気だろう」と、自分なりに家族の病気について勉強してみるのが、本来の姿だろうと思うのですが・・・。

 やはり、病気についての知識の啓蒙が一番大事でしょうね。一度、その「かつて学んだ心理学」を否定する必要すらあるかも知れません。精神論に行くのは、鬱病と向き合ううえで一番危険な方向性だと思いますので。

 鬱病の方に対し、愛情をもって接するのは大切なことだと思います。ですが、その病気に対する知識を正しく持たずに、気持ちのままに接すると、却って症状の悪化を招く危険性もあると思いますよ。
 周囲に鬱の方がいるばあいは、周囲の人も、鬱病に対する正しい知識を勉強し、何をしてあげるのが一番いいのか、きちんと知ってから行動すべきだと思います。失礼な言い方ですが、正直、鬱病をあまく見ている方もいらっしゃるように見受けます。
 もう一度書きます。鬱病は、心の病というような表現で表されるような病気ではありません。薬物治療を要する、脳内物質の関与した病気です。この機会に、皆さんが個々で鬱病について学んでいただけることを願います。

 知らずに祈るのと知って祈るのは、全く違うと思いますよ。
http://www.utu-net.com/utur/03/index.html
「ある村が100人のうつで悩む人だったら」

精神的な病も、病です!

誰だっけ? 悪魔が何人かついていた女性
(一説では精神病という噂が)であっても、
イエスは見捨てず、女性の苦しみを察して、
つきはなすことなく、癒しましたよ。

精神的な病は完治というより、症状がでない状態というのが正しいときいたような。。。。
友人がご主人に隠れて薬を飲んでいたことがバレて、ご主人が激怒し、夫婦の危機になっています。ご主人にこそ、助けが必要なときだと思います。誰か信頼できる相談相手(彼らの牧師は話せるような方ではないそう)が現れるよう、祈るしかありません。
みなさんも、どうか祈ってください・・・
>イクさんへ
それはひどい。最悪です。たとえばイクさんがお友達の方を泊めてあげるとかできませんか?
そのご主人は本当に信仰をおもちなのだろうか。疑ってしまいます。パートナーが苦しんでいるのに激怒するなど、クリスチャンであるかどうか以前に、人間としておかしいと思います。

前に僕は回復期だと書きましたが、実は昨日、病院で急に倒れてしまい、注射を打ってもらったり、あいている部屋のベッドで寝かせていただいたりと、ドタバタしてました。ドクターによれば、回復期だからこそ激しく繰り返すことがあるのだとか…。

僕のことはともかく、祈ってどうなることではないと思います。それに、そのご主人は高齢の方のような気もしますし…。献身的に支えてくれるパートナーがいても、感謝することができないほど苦しまれている患者さんも多いのです。自分が壊れてしまうんです。
ただ、残念ながら、僕にはもうこれ以上ここで書き込むことはできません。ドクターに「気持ちはわかるけど、あなたは人のことを心配できるほど回復してはいないんです。自分のことだけを考えてください」と言われてしまいましたから。それに、実際に、そのような状態ですから。

的確なアドバイスが、そのご主人には必要だと思います。どなたかも書かれていましたが、ご主人こそ専門家のもとを訪れるべきだと考えます。
ひょっとしてそのご主人、クリスチャンじゃなくてクリスチャン・サイエンスなんでは?

兎に角、祈りの力と重要性は十分わかりますが、祈りだけで済ませている段階ではありません。

行動も起こさなければ!
>たっちんさん、
いろいろありがとうございます。どうか、治療に専念してください。

私の牧師に相談し、祈りつつどのような形で二人を助けられるか、
誰に相談すべきか、考えている最中です。我が家はいつでも彼女を受け入れることはできますが、泊めてあげても根本的な解決にはならないと思いますので、もう少し様子をみます。

昨夜、ファックスで手紙を送り、ここのみなさんの書きこみも一部添付させていただきました。それを読んで、ご主人も少し冷静になったそうです。明日にでも、ご主人と話してみるつもりです。
丁重にお邪魔いたします。私はクリスチャンではありません。求道者です。私の知り合いの牧師にカウンセリングを通して素晴らしい働きをしている方がいます。田中信生(タナカ ノブオ)さんという方です、ご存知の方もおられるかと思います。彼は、色々な病院でさじを投げられた方を引き受け、引き受けて直すばかりか、そのクライエントが今では色々なところで講演をするほどまでに回復させるような方です。こちらに教会のアドレスを付けておきます。みなさんのお役に立てれば光栄です。では。

http://www.kojochurch.com/
微妙に関係ありません(笑)が、新約聖書の筆記者(確か手紙を書いた人)の中に、うつ病を患っていた可能性が高かったと言われてる方がいらしたような話を聞いたことがありますが、どなたでしたっけ? どなたかご存じないですか?
お祈りしていた友人夫婦は、話し合って、ご主人も、薬も必要ならば飲んでいいと理解してくれました。ハレルヤ!
ご主人は、信仰をもって認知療法による治療を進めていきたい、とのことでした。私もネットで認知療法について調べてみましたが、
物の見方を良い方向に変えて、自己評価を良くしていくようなトレーニングをしていくもので、きっと効果があると思います。

お祈り、ありがとうございました。
イクさん、初めまして。長文です。
実は自分も元クリスチャンです。元と言うのは、今は教会で辛い事を言われて、その友人のクリスチャンの方と同じように、うつに苦しんでいます。
そこでこのイクさんのトピックをネットで見つけて今、コメントをしています。
自分は、イクさんのご友人の方と同じように、うつではあるのですが、「出来れば」そのご友人の旦那さんの方が言われるように、旦那さんがいない方であっても、基本は、「薬に頼る」のは良くないと考えます。
そうゆうと反対される意見の方も当然おられると思いますが、ある意味だと「理想論」として、「薬に頼る」は、「神様に頼る」と相対しますし、偉そうでも信仰的には、神様より薬に依存する事は、薬が偶像になり兼ねません。
キリスト教の教えの基本は「愛」ですから、時に「厳しい事や時」があると思いますが、リクさんの文章をあくまでも、第三者的に拝見させて頂くと、その旦那さんは、その奥さんの事を真剣に考えているからこそ、薬では無く、神様に信頼して、うつを「一緒に」治そうとしておいでなんだと思います。
只、これも第三者的な意見としては、やや「重い」ですけどね。
その旦那さんの「いい方や接し方」もあるかも知れませんし、その奥さんの気持ちを代弁すると、本当に「うつ」と言う症状は、今の自分もそうですが、かなり厄介ですから、人間不信になったり、それこそそれまで完全に信頼していた神様ですら、疑ってしまいます。
その理由は、やはり人間と言うのは、他人の事はよく見えるのですが(ここで言うよく、とは良いの意味では無くて、割と正確に。と言う意味ですが。)自分の事になると途端に見えなくなるものの、ようです。
ですから、自分に非があったり、間違いや罪があったりしても、それを簡単に認めれないような疚しい部分もあるようです。
つまり、「それが出来れば、苦労なんてしねーよ!」と言う部分です。
本当はそう言った部分は「人間なら誰しもある事やもの」なんですが、他人や自分の事になると、やはり何処かで「認める事が出来ない」や、「許せない」となります。
ですから極論だと、大抵の場合、「相手のせい」にしてしまいます。
そんな自分が嫌だと、うつになったり、人間は、相手をうつにしたりしてしまいます。
ですから、そのリクさんのご友人の場合、お互いの「相手を思う一方的な思い」だけが「ぶつかり合うだけ」で、「では、どうすれば、問題が解決するのか?」と言う、解決案を探る事が出来ないのでは無いのでしょうか?
敢えて仏教的には、それは、「業」と言うと思います。
クリスチャンなら、それらの問題解決は、兎に角、神様に信頼して、委ねる。とかするしか無いのでは無いのでしょうか。
すみません、自分もうつみたいな状態なのに、何だか、偉そうな事をコメントしていたら(^_^)
只、何かの一助になれば、幸いな事です。
薬に頼るの是と非

是)薬は必要だと医者が診断されたなら、処方通りに服用すれば良いだけのことです。それが必要な状況だからです。それを、薬に頼ることになるから良くないというのは筋が通りません。食事が必要な人に向かって、食物に頼ってはなりません、偶像礼拝ですと言うのとかわりません。それで餓死したら、自殺行為であったと思う人はいても、不信仰だったと思う人はいません。神には癒す力が有りますが、恵によって薬草なども地に生じさせてくだいました。時としては人間に必要だからです。神の恵みとして、用法を守りながら服用するのです。食前の感謝の祈りをして食事をするように、感謝と導きを祈って薬を服用してください。

非)勿論、信仰抜きで薬にのみ頼るような姿勢にならないように気を付ける必要は有るでしょう。

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