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クリスチャンコミュの福音書にみる”洗礼”

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このコミュで、時々、聖餐を受ける資格について話題になりますが、論点は洗礼を聖餐の前提とするかどうかということです。そこで洗礼について考えるため、聖書ことに、4福音書(新共同訳)が洗礼について言及している箇所を調べ、簡単に整理してみました。
私たちの洗礼は、洗礼者ヨハネを踏襲する形でキリスト教に取り入れられたようです。聖書はヨハネの行った洗礼を否定せず、またことさら新たな意味づけもしなかったように思われます。しかしマタイ福音書では復活のイエスにより父と子と聖霊の名による洗礼が命令されています。ただ、これはマタイ福音書のみです。マルコ福音書には「信じて洗礼を受けるもの」とのみ。ルカ福音書の宣教命令に洗礼は含まれず、ヨハネ福音書も同様でした。

このトピックは、洗礼について何が正しいというではなく、すべてのクリスチャンの規範である聖書を調べてみたということです。書き込みされる方がありましたら、他人の非難や攻撃は厳禁とします。イヤミもだめです。もちろん建設的な意見や感想、また誤りの指摘(あくまで穏やかに!)は大歓迎です。

<マタイによる福音書>
3:1 洗礼者ヨハネ登場し悔い改めを勧める。(A)
3:6 人々がヨハネから洗礼を受ける。(A)
3:7 ファリサイ派サドカイ派もヨハネの洗礼を受けるが、血統より悔い改めが重要と教えられる。(A)
3:11 ヨハネの洗礼は人々を悔い改めに導くため。後から来る方は聖霊と火の洗礼を授けるとする。(A)(B)
3:13-16 イエスがヨハネから洗礼を受ける。それは正しいことをすべて行うため。水からあがると聖霊が下り天から声が聞こえる。(A)
11:11 イエス、洗礼者ヨハネはエリアの再来とする。(A')
14:2 ヘロデの家来がイエスは洗礼者ヨハネの生き返りと言う。(A')
14:8 ヘロディアの娘、洗礼者ヨハネの首をねだる。(A')
16:14 イエスが洗礼者ヨハネだという人もいる。(A')
17:13 イエス、洗礼者ヨハネにに言及(A')
21:25 イエス、祭司長や長老たちにヨハネの洗礼は天からものか人からのものか問うが祭司長たちは答えられない。皆がヨハネを預言者と思っているからだ。イエスも答えない。(A)
28:19 復活したイエスの宣教命令「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (C)

<記述内容の整理>
(A) 人々を悔い改めに導くヨハネの洗礼 (A') 同ヨハネの言及
(B) 後からくる方の聖霊と火の洗礼
(C) 父と子と聖霊の名による洗礼の命令(今日の洗礼の根拠)

<マルコ福音書の特徴(マタイとの比較)>
1:4  ヨハネの悔い改めの洗礼は罪の許しを得させるため。
10:38 イエスが自分の受難を洗礼に例える。
16:15 復活のイエスの宣教命令。父と子と聖霊の名による洗礼という記述はなく、信じて洗礼を受ける者は救われるとある。

<ルカ福音書の特徴(マタイとの比較)>
3:3  ヨハネの悔い改めの洗礼は罪の許しを得させるため。
3:21 イエスは民衆と同じように洗礼を受けた。
12:50 イエスが自分の受難を洗礼に例える。
いわゆる宣教命令は、罪の許しを得させる悔い改めがメシアの名によって述べ伝えられるという引用のかたちで示され(23:47)、洗礼は明確に述べられていない。

<ヨハネ福音書の特徴(マタイとの比較)>
1:29-34  ヨハネはイエスがイスラエルに現れるために水の洗礼を授けにきた。霊が下って上にとどまるのを見てイエスに洗礼を授けた。
3:22-23 イエスは弟子たちとユダヤ地方で洗礼を授けていた(4:2 実際に洗礼を授けていたのはイエスではなく弟子たち)。他方ヨハネはアイノンで洗礼を授けていた。ヨハネは弟子に問われて「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と答えた。
復活したイエスの宣教命令は、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。・・・あなたがたが赦せば、その罪は赦される。(20:21-23)」と、イエスがペトロに言われた「わたしの子羊を飼いなさい。・・・わたしの羊の世話をしなさい。・・・わたしの羊を飼いなさい。・・・わたしに従いなさい。(21:15-19)」がそれにあたると思われる。

以上


コメント(6)

洗礼はバプテストと言いますが旧約でこのような洗礼を明記したものはあるのでしょうか。わたしの知る限りではヘブル語でバプティゾー=水に浸すというもののほかは知りません。司祭が礼拝をするとき銀の道具を清めるためにしたものです。
神学的に見たらかなり複雑そうですが
Wikipediaの洗礼項目だけでも・・・(^^;

聖書から単純に書くならば、福音書の中の流れの順序として洗礼が始めにあり
聖餐の杯が後ろにあるという感覚だと思います。

別トピでグレ・ゴリ夫さんが聞いたのは洗礼を聖餐の前提とするかを論点としたものだったのか・・・・
なんか見当違いの回答して申し訳ありません(´A`)
るぁい さん

ご心配かけましたか?すみませんでした このトピたては、洗礼について聖書、特に福音書が何と言っているのかを整理してみたかったのが一番の理由です。それで、みなさんの感想などお聞きできればと。
確かに、最初は、洗礼を聖餐の前提条件とするご意見をたくさんお聞きして、では洗礼とはそもそも何だったのか、もう一度整理して考えてみたいと思ったのですが、そうする内に、洗礼それ自体を考えるという気持ちになってきました。だからこのトピはあくまで洗礼のトピとして考えています。

別トピの質問は、そのまま自分の中では残っています。お弟子さんが洗礼を受けなかったのはなぜだろう?受けたけど聖書に書いていないだけなのかな?ヨハネは罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼を授けたけれど、だとしたらイエス様の十字架による贖いとの関係はどうなるんだろう?などなど。

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