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昔のサッカーを語ろう!コミュの☆昔の選手名しりとり☆

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みんなで「サッカー選手・名前しりとり」しませんか?

コミュの性質的に、なるべく昔の選手で行きましょう♪
(90年代に既に活躍していた選手ならOKです♪)

★その選手について、一言書くと高得点です♪
★前の人が書いた選手についても、一言触れると更に高得点♪

◆フルネーム、下の名前どちらでもOKです。〔ラモス、ラモスルイ〕
◆んが付いた場合、その前の文字で続けましょう。〔トスタン〕〓(た)
◆濁点の場合は 〔ババンギダ〕〓(だ.た)どちらで続けてもOKです。
◆横棒の場合は 〔ネッツァー〕〓(あ)です。

ではスタート!!!

ネッツァー(コミュの壁紙の選手、ドイツの天才)

コメント(279)

グレン・ホドル

80年代のイングランド代表MF。

トッテナム、モナコやチェルシーでプレーイングマネージャーの後、98年W杯でイングランド代表監督を務める。
ルネ ケルクホフ
78年アルゼンチン大会のオランダ代表FW
ちなみに兄弟でビリー ケルクホフもそろって決勝に出場
フランシスコ・ヘント

プスカシュやディステファノのいたレアル・マドリーの左ウイング。

韋駄天と言われるスピードでサイドを突破。トップスピードの時の走る姿はホアキンやクリロナに似てる気がします。
「トニーニョ・セレーゾ」

82ワールドカップ・イタリア戦でのプレーぶりは最低でした。

ミスパスシーン以外でも、余裕かましてチェックいかないから、簡単にクロス上げられてゴールされてますし、あれは非難されて当然です。

イタリアのボランチはあんな舐めたプレーは絶対にしません。
ゾフ (ディノ・ゾフ)
イタリアを代表するGK

(トニーニョ・セレーゾのあのマラドーナへのパスは(笑
 ひどすぎたよねぇ・・・)
フリオ・セサル・ロメロ

ロメリート。パラグアイの80年代の英雄。

フルミネンセにいた87年かな?国立で日本代表と試合をしたビデオを見たら、アナウンサーが年俸3000万と繰り返していました。当時ならかなりのものだと思った記憶があります。
ロディオン・カマタル(元ルーマニア代表・FW)代表歴75-22

189cmの長身で80年代のルーマニア攻撃陣の制空権を支えた不動のターゲットマン。大舞台では1984年の欧州選手権の予選で活躍して本選でも3試合に出場し、本選メンバーに選ばれたもののケガでプレーできなかった1990年ワールドカップでも予選突破の原動力となった。ウニベルシタテアユース出身で74年に1部デビューを果たしてから12シーズンを過ごして、リーグ2連覇、カップ戦制覇4回、チャンピオンズカップとUEFAカップで上位進出した“クライオバ・マキシマ”のスタメンFWに名を連ねた。安定したゴール数で常にランキングのトップ5に君臨し、87年のディナモのファーストシーズンには44ゴールを記録して念願の得点王を獲得すると共に欧州ゴールデンブーツを獲得した。ディナモの3シーズンでは3年連続でステアウアに破れてリーグとカップで2位を3連覇してしまうが、コンスタントに能力を発揮して89年にはカップ・ウィナーズ・カップのベスト8にまで進出した。当時地方都市の市長をしていた彼の父親の元にディナモ組織の悪名高き秘密警察であるセクリターテが強制財政調査を執行し、叩いて出てきた埃をダシに息子の移籍強要を脅しをかけてきたために泣く泣くクライオバを離れたが、忠義心は故郷も認めており、93年に国内に戻ってきた時にはウニベルシタテアの会長に就任した。現在ではクライオバにポペスクと設立したサッカースクールで若手を育てている。ただし2007年、そもそも44ゴール中20ゴールがラスト6試合で記録という当時のルーマニアリーグからして明らかに操作されたものだと広く知られていた1987年のゴールデンブーツは取り消されはしなかったが、2位のオーストラリア代表のアントン・ポルスターにも与えられることが決定した。
ル、ル…

ルート・フリット

ミラン退団してサンプドリア行ってミラン戦で決めたズドンがヤバいハート

喜び方もヤバい(笑)


急にさぁせん(;´д`)
トム・フィニー

50年代のプレストン・ノース・エンドの右ウイング。

イングランド代表ではスタンリー・マシューズがいた場合は左ウイング。

見た感じ左利きで、左足にボールを置いてドリブルしたり切り返すので、普通の右ウイングよりDFが対処しづらいタイプかと。

グロンキアとかブルーノ・コンティみたいな感じでした。
ルク・ニリス

元ベルギー代表FW。

アンデルレヒトとPSVアイントホーフェンではチームの中心選手として活躍。

PSV時代はコンビを組む怪物ロナウドに多くのアシストを記録。
1995/96、1996/97 シーズンと2シーズン連続オランダリーグ得点王。

アストン・ビラ移籍後、足を骨折し怪我が完治せず2001年に引退

あっ すいませんウインク

新参者です。宜しくお願いします
スラベン・ビリッチ

元クロアチア代表DF。

最近は監督として有名ですが。

98年W杯準決勝でフランスのブランを退場に追い込んだ演技で三位決定戦での大ブーイングを受けたのが記憶に残ります。



ルク・ニルスは96―97の優勝を決めた?ユトレヒト戦でのヒールキックによるゴールが印象的です。
ジョン・チャールズ

ウェールズ代表FW (DF)

生涯一度も警告を受けずGentle Giantの愛称で呼ばれた。

ユヴェントス史上最高の外国人選手との声も・・・

ポニペルディ・オマールシボリとのコンビで5シーズンで100ゴール近くを記録。

ウェールズ代表としては、同国唯一出場したW杯でプレーしている。
ズデニェク・ボニエク

82年のポーランドのエース。

準決勝は…。

ユベントスでヘイゼルの悲劇の時にチャンピオンズカップ優勝。

決勝点となったプラティニのPKを獲得。

エリア外でのダイビングにしか見えないんですが(^_^;)
パット・クレランド

スコットランド代表、MFウインク

所属クラブ
1956-1963 セルティック
1963-1971 マンチェスター・ユナイテッド

マンチェスター・ユナイテッド時代、マット・バスビーが監督を務めボビー・チャールトン、ジョージ・ベスト、デニス・ローらを擁した伝説のチームで多くのタイトルを獲得し、一時代を築く。


>アッキーさん

ボニエクいい選手でしたね。プラティ二とのコンビは絶妙でした手(チョキ)

ボニエク・ラトー・カドーハ・シャルマッフの前線を擁するポーランド代表ならかなりの攻撃力ですよね。
ドゥサイイー(Marcel DESAILLY)


サッカー誌によって表記の違いはあれど、もっとも印象に残るのはこの表記。
イが続いた上に棒とか、どんだけ伸ばし過ぎなんだよと思ったものです。

DFとして有名ですが、ミラン時代のボランチ印象の方が個人的に強いのは、あの時期が私にとってのサッカーの原点だったからでしょう。
イルハン・マンシズ(あってるかなexclamation & question トルコ)

イケメン
ズラトコ・クラ二チャール

前クロアチア代表監督。ニコ・クラ二チャールの父。

選手としては80年代にディナモ・ザグレブをひっぱり、タイトルをもたらしたエレガントなアタッカー。


>O-japanさん

当時のユベントスの試合見るとボニエクとプラティニばかり目立って、パオロ・ロッシが地味な右ウイングっ感じがします。
ルル

低迷期の浦和に所属も風邪薬を越える知名度獲得には至らず。
ルディ・フェラー(ドイツ)

ワタチ、唾カケラレタアルヨむかっ(怒り)
ライカールト(オランダ)

誰にexclamation & question


連投スマソ手(パー)
トーマス ボーイ
メキシコ代表で、メキシコW杯に出ていました。DFだったような気がします。
ホセ・アントニオ・イリバル

GK
元スペイン代表

長くアスレチックビルバオでプレー。
スペイン代表には1964年にデビューして通算49試合に出場。1966年ワールドカップでは3試合に出場。1964年欧州選手権に優勝したスペイン代表のメンバーでもあった。

ニックネーム:エルチョボ

サモラ賞も1回受賞


>まなみさん
その時のメキシコ代表ではネグレッテとウーゴサンチェスが輝いてましたね。
ボーイはFKとか蹴ってましたよね?
ルイス・アラゴネス

73―74チャンピオンズカップ決勝、アトレティコ・マドリード対バイエルン戦で延長後半の終盤に先制の直接FKを決めたテクニカルな選手。

直後にバイエルンに追い付かれ、再試合の末優勝を逃す。

監督としての方が有名ですね。
エドゥアルド・ストレリツォフ

旧ソ連代表

キャリアの全てをトルペド・モスクワに捧げたロシアのペレとも呼ばれた旧ソ連の伝説のストライカー。

1956年メルボルンオリンピックでは4試合2得点と活躍。金メダル獲得に貢献。

旧ソ連歴代4位となる通算25得点を記録しているが、この得点はわずか38試合にて達成されたものらしい。
フリスト・ストイチコフ

レイソル時代に見せたアウトサイドに引っ掛けた物凄いスピードのFKには世界との違いを感じましたね。
ジョゼップ・フステ

元スペイン代表MF

60年代バルセロナで活躍。カンテラ育ちでカルロス・レシャックらと共に
リーグ優勝や国王杯優勝に貢献手(チョキ)
テリー・マクダーモット

70年代後半から80年代のリバプールの選手。

76―77チャンピオンズカップ決勝で先制点を決め優勝に貢献。
ジョン・トシャック

1970年代リバプールで活躍したウェールズ代表FW

キーガンらと共に多くのタイトル獲得に貢献。

引退後はスペインのレアル・マドリードやデポルティボ・ラ・コルーニャ、ポルトガルのスポルティング・リスボンなどの監督を歴任。2004年11月からはウェールズ代表の監督を務めている。

リバプールの70〜80年代はキーガン・エムリンヒューズ・トシャック・マクダーモット・スーネス・ニール・クレメンス・ダルグリッシュ・ラッシュ・グロブラーと数多くのスター選手がプレーした。

20年間で、国内リーグ10回、FAカップ3回、国内カップ4回、欧州CC4回、UEFAカップ2回を制し、まさに世界のサッカー史に残る黄金期を過ごしたリバプールだが、連覇を目指し決勝まで駒を進めていた1984-1985シーズンの欧州CCで起こった惨事により、その栄光は衰退していくこととなる。
クリス・ワドル

80年代から90年代に活躍したイングランドのドリブラー。

トム・フィニーと同じく右サイドから左足を主に使う。

スパーズ、マルセイユ、シェフィールド・Wとカップ戦の決勝でよく負けてるイメージ。

試合中に頭を打って記憶が飛んだ状態でのプレーが手をつけられないほど凄かったという逸話を持つ。
ルイス・エンリケ

レアルで活躍しながらも1996年ライバルチームであるバルセロナに電撃移籍。

バルセロナでは主に右サイドで活躍。闘志あふれるプレーでリバウド、グラウディオラなどと共にチームを牽引し、2連覇にも大きく貢献する。

代表では金メダルも獲得している。
ケヴィン・キャンベル

アーセナルやエバートンでプレーしたイングランドの黒人FW。

ルディ・フェラー

90年代に活躍したドイツ代表。ライカールトに唾を吐かれました。
初参戦です。

ラントシュ・ミハーイ

ハンガリー代表(マジック・マジャール)のDFさん。
お邪魔しました!
イアン・ライト

90年代のアーセナルの点取り屋。

ショーン・ライト=フィリップスの義父。

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