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ゴダール『映画史』コミュの作中の引用作品、引用文章、および原語解釈に関する相談

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を、しようと思うことがたまにあるのですが、ここに駆け込めばいいのか、(原語理解の場合は)仏語相談コミュに行けばいいのか悩むことがしばしばあります。
とりあえず、こんなトピを立ててみました。コミュ主さんの意向にそぐわなければ削除願います。

今現在首を捻っているのは『JLG/JLG』に出てくるこの箇所です(作中14:06-14:15、p.o.l.版仏語採録p.25)
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121, Peut-on dire le manifeste des 121? Peut-on dire où manque le doute manque aussi le savoir? 125. Si un aveugle me demandait "as-tu deux mains?", ce n’est pas en regardant que je m’en assurerais? Oui, je ne sais pas purquoi j’irais faire confiance à mes yeux, si j’en étais à douter. Oui, pourquoi ne serait-ce pas mes yeux que j’irais vérifier en regardant, si je vois mes deux mains. Wittgenstein, "de la certitude".
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わからないのは引用箇所の中盤です。

採録シナリオの邦訳ではこうなってます(訳:映画史字幕集団2000、『for ever godard #2 & #3 『フォー・エヴァー・モーツァルト』/『JLG/自画像』愛育社発行、2002):

121、これは「121人宣言」とも言えるか。疑わずして知識なしの宣言と言えるか。125、「両手はあるか?」と盲人に聞かれ、両手が見えたら確信できるのか? なぜ自分の目が確かだと信じうるのか。確かめるべきは、むしろ目ではないのか? 両手が見えているのかどうか。ウィトゲンシュタイン、『確実性の問題』。

結構端折った訳になっているので、もとの文章に照らして読んで訳を改めてみたらこうなりました:

121、これは「121人宣言」とも言えるか。疑いなき知識なき宣言と言えるか。125、「両手はあるか?」と盲人に聞かれ、両手が見えたら確信できるのか? そう、どうして私は目を信頼しているのだろうか。疑いなく私は目のもとにあるのだろうか。そう、両手を見て確認するだけでどうして目があることがわかるのか。ウィトゲンシュタイン、『確実性の問題』。

「Oui, je ne sais pas purquoi j’irais faire confiance à mes yeux, si j’en étais à douter.」の箇所ですが、pourquoi 〜, si ー っていう構文ありましたっけ? ちょっと思い出せずにいて、ここで首を捻っています。また、

「Oui, pourquoi ne serait-ce pas mes yeux que j’irais vérifier en regardant, si je vois mes deux mains. 」
pourquoi ne == que〜の構文にここはなっているようで、そのため「両手を見て確認するだけでどうして目があることがわかるのか。」と仮に訳してみたのですが、同じく「si〜」のつながりをどう読むかよくわからなくなってしまいました。

コメント(13)

と、マルチポストで質問していたのですが、仏語相談コミュで解決しました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=29&comm_id=82874&id=27852965

JLG/JLGは、服喪にある少年ゴダールを求め訴えている(réclamer)闇の力(puissances ténébreuses)があり、視線と闇の関係がここですでに伏線付けられ、のちに『盲人書簡』から幾何学(映画史でも非ユークリッド幾何学に関する主題が出てきますが)や『見えるものと見えないもの』の引用、接触と懐疑の問題が出てくる上に、どうやらゴダールがモンタージュ論の下敷きにしたらしいルヴェルディのイマージュ論で強調される、隔たりのある現実性の近接という発想が暗に絡んでいるようなので、ゴダールにおける視線論のまとまったものとしては、アワーミュージックに匹敵する複雑な構成になってますね。
もう解決したようですがひとつだけ。

Oui, je ne sais pas pourquoi j’irais faire confiance à mes yeux, si j’en étais à douter.

についてですが、

enの示すものが「そんなにも」というような曖昧なものを指すように捉えられているようですが、位置関係からするとde mes yeuxを指すと考えるべきなのではないかと思うのですが。

つまり「私が目(の存在)を疑っているとしたら、なぜ(その)目に信頼を置こうとするのか、わからない」ということなのではないでしょうか。
かずみちさん

>enの示すものが「そんなにも」というような曖昧なものを指すように捉えられているようですが、位置関係からするとde mes yeuxを指すと考えるべきなのではないか

そうなんですよね。ここは初読時にも訳文に迷ったんですが、à mes yeuxがenになっているのでしょう。ですが、「目(の存在)」にできるとかというと悩んでしまって。現時点では「そう、目を疑うのなら、どうして自分のその目を私が信頼しているのかわからない」になってるんですが、

「そう、目のもとにありながらその目を私が疑っているとしたら、なぜその目に信頼を置こうとするのかがわからない」というふうにしたほうがいいのかな、とも。どうなんでしょうね、このへん…。
「目のもとにある」ということにはならないと思います。
si 以下は en が指しているものを省略せずに書くと、

si j'étais à douter de mes yeux.

となると思います。

「存在」となるのは前の文の流れからすると明らかではないでしょうか。
つまり前の文章では、「腕の存在」について、(盲人に問われて)疑問を持ち、それは目によって確かめることで解決した。だとすれば「目の存在」は、目で目を見ることによって確かめなければならないではないか、というのが、全体の文章の流れではないでしょうか。
あ、deなんですか。そういえば、enはde~の略に代名詞にはなりますけど、à〜の代名詞にはなりませんよね。用法をy〜と混同していたようです。

>「腕の存在」について、(盲人に問われて)疑問を持ち、それは目によって確かめることで解決した。だとすれば「目の存在」は、目で目を見ることによって確かめなければならないではないか、というのが、全体の文章の流れ
ああ、そっか。でも、対象の存在を確証するのは視線だが、その視線を確証しているものは〜 という展開にはなってないんですね。文章としては、「対象を見るってのは、むしろ逆に視線の存在を確認してることでもあるよね」みたいなところで終わってる。うーん、とすると、regardみたいに読まれちゃうから、視線と訳さず、目の存在、とした方が明確な感じかな。

あと、視線と対象の関係として、ディドロの盲人書簡を引いたあとに続けている、projecterの、ヘーゲルの関係論を思わせる、自他の相互規定論みたいなのは、論の構図としては結構明らかにつながってるということなんでしょうね。


de絡みで対応に困る箇所はJLG/JLGにはもう一つあって:
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Bon, alors. Il y a la règle, ça va. Il y a l’exception, ça va. La règle, c’est la culture. Non, il y a la cuture qui est de la règle, qui fait partie de la règle. il y a l’exception qui est de l’art, qui fait partie de l’art. Tout disent la règle: Cigarettes, ordinateurs, t-shirts, télévision, tourisme, guerre. Et, voilà, personne ne dit.
[作中、6:57-7:36、p.o.l.版採録、pp.16-17]
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邦訳シナリオに手を加えた版----------------------------
うん、さて。規則がある。うん。例外がある。うん。規則は文化……違う。文化とは規則からなる。文化とは規則の一部をなす。例外とは芸術からなる。例外とは芸術の一部をなす。誰もが規則を語る。タバコ、コンピューター、Tシャツ、TV、観光、戦争を語る。しかし誰も語らない。
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cuture qui est de la règleのときのような「de」は「からなる」でいいんでしょうか。邦訳シナリオでは「規則の一部である文化」になっているのですが、venir deとか、constitué deみたいな意味がdeに込められているのだと読んだのですが。ゴダールがインタヴューで「映画について語る」はparler sur じゃなくてparler deじゃないと、みたいに言うような調子かと。

あと、文脈的に思い切り唐突で、さっぱり見当がつかないのは、
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Même avec retard, il ne m’a fallu aller dans aucune lointaine Samarcande. Au contraire, les embûches sont venues, c’est-à-dire la vie.
[作中、3:14-3:23、p.o.l.版採録、p.12]
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邦訳シナリオに手を加えた版----------------------------
遅れて、遠く隔たれたサマルカンドに行かされずに済んだが、罠がやってきた。つまり、人生が。
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venueとallerの対比などを明確にして、こう改訂しましたが、それはともかく、サマルカンドってどういう意味で出てきてるんでしょうね、これ。邦訳シナリオでは文章の前半は「私は流刑にはならなかったが、」になってますが……さっぱりわかんないので、逐語訳で乗り切ろうとしてます。
fait partie deと言い換えているわけですから、deは「属する」みたいな感じでいいのでは。
要するに規則が文化の一部ではなくて、文化が規則の一部なのだ、ということでしょう。
それよりも
Tout disent la règle: Cigarettes, ordinateurs, t-shirts, télévision, tourisme, guerre.
のところは、toutの内容がcigarettes以下なのではないかと思うのですが。
つまり「すべてが規則を語っている、タバコも、パソコンも、Tシャツも、テレビも・・・」ということではないでしょうか。

文脈的に唐突だというのはまあ、ゴダールのすべてにあてはまることなので、サマルカンドについては、何かのコノテーションがあるのでしょうけれど、僕もお手上げです。
George Sherman監督のThe Golden Horde(1951)が、フランス語では"La princesse de Samarcande"だということは、あるいは何か関係があったりするのか、しないのか。
そっか。属するぐらいでいいのか。

>toutの内容がcigarettes以下なのではないかと思うのですが。

なるほど…。tout とpersonneが対比されてるわけですね。事物というか、あらゆる商品が規則を語っているが、誰もその規則を語らない、と。

>サマルカンド
やはり謎ですね。ソ連時代にサマルカンドには収容所でもあったのかと思ったんですが、それだとしてもつながりが不明すぎるという。retardといい、lointaineといい、気になるフレーズが出てくるんですが、肝心のサマルカンドが意味不明なんですよね。他にも「Parti de Liverpool」というノートの文字が出てきますが(12:13-12:16)、出てくる地名ってこれらを含む数個で、しかも脈絡がよくわかんないですね。

たくさんのアドバイスどうもありがとうございました。
The Old Placeからです。
1:20-1:49に英語男声が挿入されるのですが、なぜか冊子でも未対応で聞き取りするしかない箇所になっています。
その箇所の抜粋動画
http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=448720&video_id=6347329

ヒアリングが苦手ながら苦心して聞き取った結果がこれなんですが、全然自信がありません。
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And now, major ambassador who is gazed at a profound -- thinking in his life
realize the everything which ----- -- more like them during his life time,
always finding, building, trading and banking.
And with all trifling waste, side was considering[???] now,
where the major new nobody[???] had planed and went to run out country,
where is not even sure being recognized as an ambassador.
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第3行、第5行がかろうじてミスがないかな、とは思うのですが、残りの行は全部間違ってそう…。

以下はその怪しい英文を試訳したもの
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さて、その時代において深い思索者と見られている主な大使はあらゆることを実現する。
あらゆることとは、当人の生きている時代のあいだ ------
つねに発見し、建設し、取引し、それらを積み上げて山にしながら。
そしてとるにたらないゴミとともに、今では考えられている一面、
そこでは    計画し、国を使い尽くす
おのれを大使としてきっと認知していないはずの国を。
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『21世紀の起源』のギヨタの朗読箇所の英訳未対応といい、付属冊子にはもうちょっと努力が欲しいところです……。
これは『偉大なるアンバーソン家の人々』からの抜粋ですよ。
ああ、そうか…。今確認しましたが、映画史2Bでまったく同じ箇所が抜粋挿入されてますね。
ということは、Céline Scemama-Heardのデータにしたがって、以下が正解ということですね。邦訳は日本語字幕版をみて考え直してみます。

« And now Major Amberson was engaged in the profoundest thinking of his life, and he realized that every thing which had worried hil or delighted during his lifetime – all his buying and building and trading and banking – that it was all trifling and waste beside what concerned him now, for the Major knew now that he had to plan how to enter an unknown country where he was not even sure of being recognized as an Amberson. »

かずみちさん、たびたびお手数かけて恐縮です。ありがとうございました。
>サマルカンド
奴隷のことを指しているのかもしれません。ウズベクはアジアの巨大な奴隷市場でした。
ありえますね、その意味。相変わらず文脈わからないけど、奴隷囚にはならなかったけれども人生の虜囚になりました、みたいな話なのかも。だけど、Même avec retardがあるからといって「青年期になって、そのような子供じみた苦悩は終わりが来た」というよりは、どうも少年期の話として(人)生が迎え撃ってきたと言ってるみたいだな。

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L’Espoir lui appartenait mais voilà le garçon ignorait que l’important était de savoir à qui il appartenait lui, quelles puissances ténébreuses étaient en droit de la réclamer lui.
[作中、1:54-2:07、p.o.l.版採録、p.10]
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邦訳シナリオに手を加えた版----------------------------
希望は少年のもとに現れたが、少年は肝心なこと、つまり自分が誰のもとに現れているのか知らなかった。彼を求め訴える権利を持つ闇の力がどのようなものかも知らなかった。
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その後で服喪の話になってるのだから、この闇の力による訴えによって、自分自身の死が到来して、その喪に服すということなんでしょうが、ここまでのシーンの真ん中に入ってるのが「少し打ちのめされた顔をしている」少年ゴダールの顔、と、その原因らしい「(人)生がやってきた」なのだから、この人生というのは、自分自身の死ってことなのかな。いまひとつよくわからない箇所だ。
2005年のマイケル・ウィットによるインタヴューをさくっと訳したり、
http://nn-nico.blogspot.com/2009/11/blog-post.html
ForEver MozartとNotre musiqueを中心に多少原語注釈的なやりとりをしたので、その一部をはっつけておきますね。
http://nn-nico.blogspot.com/2009/11/21_17.html
http://nn-nico.blogspot.com/2009/11/2.html

自分で言うのもなんですが、こういうのって個人宣伝みたいで微妙なんで、適当にスルーしておいてくださいな。

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