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旧暦と暮らすコミュの節分

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まもなく、節分がやってきます

おそらく、各地で豆をまくでしょう

起源など、さまざまなことを調べてみたら、

節分は、年に4回(季節の始まりの前日)あるそうですが、豆をまくのは2月だけですか?

年に4回、豆まきをやるのは、おかしいのでしょうか?

であれば、なぜ2月だけ豆まきをするのでしょうか?

関連項目なども含めて、宜しくお願いします

コメント(6)

豆をまくのは 春分の日だけですね。
年に四回 豆をまく風習はありません。

季節の変わり目に行なわれる風習なので 季節を表す行事なのだと思います。

豆まきにつかわれる豆は、落花生の地域もありますが 大豆のことが多いようです。

大豆の収穫時期と関係あるのではないでしょうか。
大豆は五月ごろ種が植えられ、夏になると青々とした豆を実らせ、枝豆として売られます。収穫せず、畑に植えたままの状態にして 気温が下がり秋になると 葉や鞘が枯れて 大豆として収穫されます。

だから夏は まだ大豆ではない。秋は 収穫したばかり。冬でも よさそうなものですが、春に 宮中で行事をするようになったので、春にだけ 大豆がまかれるのだと思います。 
落花生をまく地域もありますが、落花生の種を植える時期や 青々と成長している時期には その種を 投げる風習は ないようです。
≪節分は年4回なのに、何で豆まきは立春の前だけか??≫
面白いですね〜わーい(嬉しい顔)

新しいことが始まる前には、清めたくなるから。じゃないかな?
例えば、お家建てる時も、地面を清めたり、お払いしたりしますよね。

豆まきって、鬼という邪気を払ったり、魔を滅したりする浄化行為だと思うんです。

季節の区切りは色々あるけれど、生命力が表面に出てこない冬から、草や木が芽吹き花が咲き、虫や動物達が活動を始める春が始まるって、一年の中で一番大きな区切りだ(と思う)から、春が始まる前に、お払いしておこう的な。

見えないものへの浄化行為と考えるなら、年4回でも、それ以上やっても良いんじゃないでしょうか?

一般的には、大掃除も年一回だけど、余力があるなら、やればやっただけ気持ち良いものだしるんるん

ハートお豆つながりで・・・ハート
2/21に上石神井のカフェで【お豆の会】というのがあります芽
お豆に興味のある方、ぜひご参加ください。
http://www.patieco.com/event
 二月三日の節分 (立春に前日  は 新暦に適応して 昔と変わらぬ季節の日ですね。

以下 grok の解説です。

豆まき(節分の豆まき)の起源は、非常に古く、**中国古代の風習**に遡り、それが日本に伝わって変化・発展したものです。歴史を時系列で詳しくまとめると以下のようになります。

### 1. 起源:古代中国の「大儺(たいな)」・「追儺(ついな)」
- 古代中国(漢代頃〜)では、季節の変わり目(特に年の瀬や立春前)に**疫病・災厄・悪霊(疫鬼)を追い払う儀式**が行われていました。
- これを**「大儺」**または**「追儺」**と呼び、宮廷で盛大に行われました。
- 方相氏(ほうそうし)という仮面の役人が中心となり、桃の弓・葦の矢で鬼を追い、鼓を鳴らして追い出すスタイルが基本。
- この頃はまだ**豆をまく**という習慣は明確ではなく、小豆や五穀を撒く例はあったものの、主役は弓矢や叫び声・太鼓でした。

### 2. 日本への伝来:飛鳥・奈良時代(706年頃〜)
- 中国から伝わり、**奈良時代**(文武天皇の慶雲3年=706年)に『続日本紀』に初めて記録があります。
- 当初は**大晦日**(旧暦の年末)に行われ、宮中で**鬼やらい(鬼払い)**として執り行われました。
- 目的は「年中の病疫を払う」こと。陰陽師が関与し、桃の弓・葦の矢を使っていました。

### 3. 平安時代:宮中行事として定着
- 平安時代になると、**立春の前日**(節分)に移行し、宮中での正式な年中行事に。
- まだ豆まきではなく、**方相氏が鬼を追い、貴族が桃の弓で援護**する形が主流。
- 時代が進むと方相氏自身が「鬼役」に変わり、追い出される逆転現象も見られます(鬼ごっこの原型とも言われる)。

### 4. 豆まきが登場する時期:室町時代〜南北朝時代(14世紀頃〜)
- 文献で**豆を撒く**行為が明確に現れるのは**室町時代**(応永32年=1425年頃)から。
- 『看聞日記』『花営三代記』などに「大豆打(おおまめうち)」の記述。
- 『臥雲日件録』(1447年)には「鬼は外 福は内」と唱えながら豆を撒いた記録あり。
- ここで**「豆まき」**が節分行事に取り込まれ始めます。

### 5. なぜ「豆」なのか? 主な由来・諸説
豆が選ばれた理由にはいくつかの有力な説があります(複合的に影響し合ったと考えられています)。

| 説 | 内容 | ポイント |
|---------------------|----------------------------------------------------------------------|------------------------------|
| **魔滅(まめ)説** | 「魔を滅する」→「まめ」=豆。語呂合わせで魔除けに最適。 | 最もポピュラーな説明 |
| **魔目(まめ)説** | 「鬼の目(魔目)」を豆で打つ→「魔目を滅する」 | 鬼の目を狙って投げるイメージ |
| **穀霊信仰** | 五穀(米・麦・粟・稗・豆)に霊力が宿る。特に粒が大きく硬い大豆が鬼を払うのに最適。 | 古来の日本信仰 |
| **鞍馬山伝説** | 鞍馬山に鬼が出た時、毘沙門天の告げで大豆を鬼の目に投げて退治したという逸話(室町時代の『壒嚢鈔』に記載)。 | 民間伝承として有名 |
| **中国医書影響** | 中国の本草書に「大豆は鬼毒を殺し痛みを止める」とあり、病除けに。 | 実用的・薬効的側面 |

当初は米・麦・小豆など他の穀物も使われていましたが、江戸時代までに**大豆**が完全に主流になりました。

### 6. 江戸時代〜現代:庶民文化として定着
- 江戸時代になると、**庶民の家庭でも豆まき**が一般的になり、現在のような「鬼は外! 福は内!」の掛け声+炒り大豆を桝でまくスタイルがほぼ完成。
- 炒り豆を使うのは「芽が出ない=凶事が芽吹かない」ため。
- 豆を年の数(+1)だけ食べるのは「無病息災」の意味。

### まとめ:豆まきの進化の流れ
中国の追儺(弓矢・太鼓で鬼払い)
↓
飛鳥・奈良・平安(宮中で鬼やらい)
↓
室町時代(豆を撒く行為が登場、「魔滅」


### まとめ:豆まきの進化の流れ
中国の追儺(弓矢・太鼓で鬼払い)
↓
飛鳥・奈良・平安(宮中で鬼やらい)
↓
室町時代(豆を撒く行為が登場、「魔滅」などの語呂合わせ)
↓
江戸時代(庶民化・大豆固定・掛け声定着)
↓
現代(家庭行事・節分イベン化)

豆まきは単なる遊びではなく、**季節の変わり目の不安(病気・災い)を払い、新しい春を迎える**ための、古来からの「厄払い+生命力の祈り」が凝縮された行事です。2026年の節分(2月3日)も、ぜひその歴史を思い浮かべながら楽しんでみてください!


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