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2006年01月16日05:22

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「耽奇館主人の日記」自選其の十二

2003年09月13日(土)
豚飼いのこと。

市川市の外れから、鎌ヶ谷に抜ける途中に、車やバイクの残骸の山があり、その山の中に、びっくりするくらい場違いの、飼育小屋があった。
高校生の頃は、よく友達と原チャリでその飼育小屋を見に行ったものだ。直接敷地に入らず、少し離れた小高い丘の上から見下ろすのを常としていた。
敷地に入らないのは、しかるべき理由があった。危険だったのだ。
周囲の車やバイクの残骸の中には、十数匹の犬が放し飼いになっていて、初めて私たちが侵入した時は、出てくるわ、出てくるわというくらい、吠えかかってきたので、それ以来、安全な場所から眺めることにしたのだ。
そんなに面白いものが見れたのかと言われると、自信を持ってそうだとは答えられない。
何の変哲もない、大きな豚だったからだ。
飼育小屋からはみ出るくらい、巨大な、ヨークシャー産と思われる、白っぽい毛並みに覆われた、泥だらけの豚は、いつも物憂げに横たわっていて、尻尾をあっちこっちと振り回していた。
私たちは、お互いの感情を確認しあったわけではないが、多分、そのデカさに感動して、珍しいもの見たさに、わざわざ来ていたに過ぎなかったと思う。
「トンカツにしたら一体何人前取れるんだろ」と私。
「おまえ、食うことばっかりだな」と友人。
「食うといえばさ、餌食ってるとこ見たことねえな」ともう一人の友人。
今思えば、ほんとうに、豚が餌を食ってるところを見たことがなかった。夜の間に餌やりをしていたのだろうか?
「まさか、あの周りの犬が餌だったりして」
「それはありかもな。豚は何でも食うからな」と私。
「それはないだろ、だったら、犬が落ち着いて住みつきゃしないだろ」
「餌と同じく、飼い主もいっこうに見かけねえな」
「とっくの昔に食われちまったんじゃねえの?」と私。
そんな会話をしながら、暇さえあれば、豚を見に出掛けていたが、いつ見ても、豚は血色がよく、美味そうに肥え太っていた。
ある日、私は夢を見た。
豚が二本足で立って歩き回り、周囲の犬どもに餌をやっている夢だった。
蹄で器用にドッグフードの袋をあけ、そこら中にばらまくと、豚の足元に犬どもが駆け寄ってきて、一心不乱に食べ始める。
豚は、かつては、人間だったのだ、という考えが私の頭の中に広がってきて、思わず呻いた。豚こそが飼い主だったのだ。
そんな変な夢を見てから、あらためて豚を見に行くと、豚は相変わらず悠然と横たわっていて、私の方を小さな黒い目で眺めていた。
その日以来、私は豚を見に行くのをやめてしまった。
現在で、十六年経つのだが、今でも豚は相変わらず横たわっているのだろうか。今日はここまで。
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