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2006年01月10日16:02

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「耽奇館主人の日記」自選其の六

2003年06月24日(火)
みだらなファンタジーのこと。

今日、夕食前にファミリーマートで週刊雑誌のプレイボーイを買おうとしたら、まだ小学生にもなっていないような小さな女の子が二人、成人向けの雑誌コーナーに潜り込むようにして雑誌を読んでいた。私が近づくと、一人が顔をあげて私を見上げたが、そのまま雑誌に目を戻した。何を読んでるのかな?覗いてみると、かわいい絵柄の女の子がみだらにも足を広げて、おつゆと精液を飛ばしているシーンが見開きで展開されていた。周囲を見回すと、みんな幼女たちに注目しているが、見て見ぬふりである。親らしき人はいないようだ。私は注意しようと思ったが、すぐに肩をすくめて、足早にそこを離れてレジに向かった。コンビニを出る時にもう一度幼女たちを見たが、二人そろって熱心にエロマンガに見入っている。
この子たちに注意したところで何になろう?一度ああいう世界を知ってしまったからには、もう隠すことは無意味である。女はああいう目にあうものだということを知り、男はああいうことをするものだということを知ってしまったからには、後は自分自身が実際に体験するまで、悶々とした想像を膨らますしかないのだ。
私はある女の子の初めての相手を務めたことがあるが、彼女は自分の女性器を満足に眺めたことがないようで、彼女の両足を広げさせて後ろから抱きかかえるようにして、鏡の前へ持っていったら、自分の女性器にかなりのショックを受けて泣き出してしまった。恥ずかしさよりも、こんなにグロテスクなものが自分自身についていることが衝撃だったらしい。
そこで私は思うのだ、女の子というものは、実際に貫かれるまでは色々なメディアから様々な想像でファンタジーの世界を作り上げているのだと。男の子はファンタジーよりも、現実の生々しさを追い求めて、濡れたヴァギナ目がけて突進するが、女の子は生々しいペニスよりは、ふわふわした昂揚感といやらしい気持ちにさせてくれるシチュエーションを追い求める。
こうした性別の違いは永遠に続くと思っていたが、最近は性の区別もつかない時代だから、逆転、もしくは融合、あるいは超越が成り立っているようだ。昔、AVでオタク女を犯る!という企画ものを見たことがあるが、女というものを捨ててしまったような生命体が、マンガのキャラクターの名前を叫びながら男優に犯されているという、史上最低の内容だった。男の場合も似たような世界がありうるのだろう。こんな腐ったファンタジーよりは、美しい形で生々しいファンタジーを展開させたいものだ。
それには、純粋にみだらな想像をするだけでいいのである。
私はこういうことをしてみたい、ああいうことをされてみたいという。
幼女の二人は、いい相手に恵まれるといいなと思いつつ、私はプレイボーイのグラビアをじっくり眺め始めた。今日はここまで。
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