最初に訂正です。4月15日(月)の次回告知を「守護と地頭と国司と」としていましたが、もちろんこれは誤り。正しくは今回のタイトルになります <(_ _;)>
公地公民制が破綻した奈良時代後期、自分で開墾した土地の所有を認める「墾田永年私財法」が施行されたことで、財力のある貴族や大寺院が人を雇って広大な土地を開墾して所有しました。こうした土地のことを「荘園」と呼びます。
平安時代後期、地方の有力者(在地武士など)は自分たちが開墾した荘園を皇族や大貴族に寄進するようになりました。表向きの所有者となった権力者の威光で、荘園から徴税しようとする国司の要求をかわせるだけでなく、権力者の歓心を買えるうえに、荘園の管理者に任命されれば実質的な支配者になれたからです。
開墾が盛んだった院政期、荘園が増加する一方で耕作放棄地も増えたことから、朝廷はそうした土地を国司が管理する「公領」としました。荘園と公領に存在する田畑の数を把握し、課税することを荘園公領制と呼びます。
将軍家の所領として朝廷が認め、幕府の財源となった「関東御領」は、じつは平家没官領(朝廷が没収した平家一門の荘園)が中核をなしていたのです。
参考文献
『荘園史研究ハンドブック』 荘園史研究会(編) 東京堂出版
『荘園』 伊藤俊一(著) 中央公論新社
『日本の中世国家』 佐藤進一(著) 岩波現代文庫
『日本中世の朝廷・幕府体制』 河内祥輔(著) 吉川弘文館
『弘前大学國史研究』第64/65号「武家政権について」
佐藤進一(著) 弘前大学國史研究会
『日本の中世国家』 佐藤進一(著) 岩波現代文庫
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