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2024年04月13日18:37

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倉敷 小瀬戸。

倉敷駅前から藤戸まで行く道の途中、倉敷川沿いの桜並木を写真に撮っての

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道渡ったところにある、通称、乗りだし岩を写真に。
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うちの子が天城の中高一貫校に行くまで、この辺に来る用が全くなく
子供の頃に、山陽ハイツのプールに連れて行ってもらったくらいか、
宇野線に乗って宇野港に行くため、バスで茶屋町駅に行く車窓から
倉敷川が太くなってるなーっとか。
倉敷市内でも、ほぼ知らない土地の事を知り、
歴史も知り、でそれまでなーんも知らんかったのを
この道を通る時、横目で見ながらの送り迎えで。
、、

私の小学校の5,6年の同級生に日笠って苗字が居て、
中学でそのまま東中に上がらず、この付近の中学に
行ったと聞いていて、近年同窓会で逢ったが、
その後、藤戸〜天城の歴史をネットで調べてると
この付近の有力者の名前の中に日笠とあり、
経ヶ島神社の付近の石碑にも名前があって、おお、と知ったり。
同窓会で再開し、自分の事を憶えてくれたことを喜んでくれた日笠君は
NECに勤めてて、
「今度うちの衛星、みちびき、が動くようになると
カーナビの性能が上がるから」と喋ったり。

岡山の県南の吉備地方は、古代の遺跡や古墳も一杯あるし、
楯築遺跡は弥生時代後期、
以前のニュースでは三千年前の住居跡が見つかったりする古い地域だが、
倉敷自体は中世からできた地域で、平地はほぼ海で
〜島が付いてる地域はその海の中の島だったからで、
当時は島だった美観地区の鶴形山のてっぺんに、でかい岩があって
昔は祭事に使用してたとかだけど、もしかしたら灯台のそれだったかもしれない。
そこにある阿智神社、
阿知という町内名の阿、は火の意味、
阿蘇の阿と同じで、火を知っている古代人が
ここまで来て、祭事か灯台で火を燃やしていたのだろうとか想像する。

瀬戸内の飛島やったか小島のてっぺんに貝塚が見つかり、
灯台守が住んでいたのでは?とか想像したり。
松本清張ならゾロアスター教徒が来ていたとか言いだすかもしれない。

そんな時代からだ比べると源平はまだまだ近年じゃないか、と。
そんなこんなも、倉敷に帰って来てから知ったことで。

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