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2024年01月19日16:29

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(読書)『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎/大澤真幸著:講談社現代新書)(その2)

私がmixi日記に読書感想文を投稿するときは、1冊の本につき1件の日記に対応させていたが、この『ふしぎなキリスト教』は、本当にケタ違いに面白い。このため、数回に分けて感想文を記述したい。この日記は、第2弾である。

(3)この本のP79には、「試練」ということの意味について、次のように書かれている。

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 試練とは現在を、将来の理想的な状態への過渡的なプロセスだと受け止め、言葉で認識し、理性で理解し、それを引き受けて生きるということなんです。信仰は、そういう態度を意味する。(P79)
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 以前に『キリスト教講義』という本を読んだことがあるが、そこでも、キリスト教にはダイナミズムがあるということが述べられている。上の引用部分は、キリスト教のダイナミズムとはどういうものであるかを考えさせる文章であると言えよう。

(4)ユダヤ教、キリスト教、仏教、儒教といった宗教がなぜ登場してくるのか、その社会背景について述べている部分を紹介しよう。

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 日本は、先進国としてはめずらしく、こんな信仰(日本の伝統社会の多神教のこと。引用者注)が現在まで続いているんですけど、これほど幸運な場所は、世界的にみても、そう多くはない。
 それ以外のたいていの場所ではどうなるかというと、異民族の侵入や戦争や、帝国の成立といった大きな変化が起こって、社会が壊れてしまう。自然が壊れてしまう。もとの社会がぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃになってどうするか、というのが、ユダヤ教とかキリスト教とか、仏教とか、儒教といった、いわゆる「宗教」が登場してくる社会背景なのです。そういう問題設定がまず、日本にはない。だから、そうした宗教のことがわからない。(P86)
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また、呪術や多神教の克服について論じている部分にも、関連する主張が述べられている。

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 あらためて確認しておけば、血縁的であったり、地縁的であったりする、小さくシンプルな原初的な共同体が、自然と共生関係にあるようなときには、呪術や多神教が自然発生的に出てきます。しかし、異民族が侵入してきたり、他民族の帝国であろうとしたときには、こういう呪術や多神教の自然崇拝や特殊な習俗ではやっていけない。そこで、民族や部族を超えて妥当性をもつような普遍宗教・世界宗教が出てくる。仏教も儒教も一神教も、普遍宗教・世界宗教です。(P97〜98)
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 上に紹介した2つの引用部分は、現在の日本人の特殊性が何に起因するのかを考えるヒントになる。なお、宗教とは全く別の次元の問題意識として、私は少し以前から、日本という国が、例えばOECD加盟国などの主要先進国と比較して、産業社会の生産性や労働者の賃金水準がちっとも伸びていかないのはなぜなのか、という問題意識を持っている。その理由の一つにほぼ間違いなく挙げられる要素として、日本の職場ではビジネス上の問題解決を案出しなければならない局面での、案出される解決案の多様性が小さいということがあるのではないだろうか。

 日本人が特殊な単一民族であるため、案出される解決案の多様性は小さくなる。多様な人間たちによって構成されるプロジェクトチームなどが問題解決に挑むほうが、多様性を欠いた人たちによって構成されるプロジェクトチームなどが問題解決に挑む場合よりは、多様なアイディアが生まれ得るということは、学問的にも立証されている。結果として、日本の産業のグローバル競争力の低下の一因になっていることが挙げられるのではないだろうか。

 その民族が住んでいた社会や国家の歴史が、異民族の侵入や異民族による帝国の支配等を受けずに済んできたというのは、それ自体恵まれている事なのかもしれない。だが、異民族の侵入や異民族による帝国の支配等を受ける歴史を経てきた社会や国家は、その経験から、多様な人間同士がどのようにコミュニケーションを図り、協働し、協働を通じて価値生産をしていくかを図るソーシャルスキルを習得してきたのではないだろうか。日本人はそういったソーシャルスキルのレベルが相対的に低いことは否定できない事実であると思う。

【関連項目】

(読書)『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎/大澤真幸著:講談社現代新書)(その1)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986788542&owner_id=3879221
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