今、私が読んでいる“アイデアのちから”という本に差別の話が載っている。
アメリカ公民権運動の活動家にキング牧師という人がいる。
キング牧師は綺麗事ばかり言っているだけで、あまり真実は語らなかった。
だから、私の中ではマルコムXの方がはるかに評価が高い。
しかし、世界的にはキング牧師は反人種差別の代表的な人物とされている。
1967年、キング牧師が暗殺された。
“彼はそれまでの偽善的な宥和路線に耐えきれなくなり、勇気を出し真実を語ろうとしたから殺された” とも言われている。
アメリカという国は、自由でも平等でもなく、なんでも “暴力で解決する” という伝統を持つ、恐ろしい国である。
そこでキング牧師も暗殺されてしまった。
アイオワ州のライスビルという街にジェーン・エリオットという名の小学校の先生がいた。
“ライスビルは白人ばかりの街、そこに住む子供たちは人種差別と聞いても、それをイメージすることができない”
そう考えた彼女は、目の色で子供を分け、体の特徴で人を差別することの弊害を子供に体験してもらおうと考えた。
クラスを青い目の子供と茶色い目の子供で分け、青い目の子供を教室の後ろに座らせ、首に輪っかをはめた。
そして茶色い目の子供を教室の前に座らせた。
そして、彼女はこんなことを宣言した。
「茶色の目をした子供は、青色の目をした子供より、優秀です」
「このクラスでは、茶色の目をした子供は青色の目をした子供より偉いのです」
そうすると、それまで仲良く遊んでいた子供たちが、目の色が違う子供とは遊ばなくなり、茶色い目の子供は青い目の子供を馬鹿にするようになった。
そして青い目の子供は卑屈な態度をとるようになった。
彼女の目の色は青色だったのだが、ある時、茶色い目の子供がこんなことを言った。
「あなたは青色の目をしているのに、よくもまあ先生になれたね」
翌日、ジェーン先生はこんなことを宣言した。
「私は誤って “茶色の目をした子供が優れている” と言ってしまった。本当は青色の目をした子供の方が優れている」
そう言った途端、青い目をした子供たちは歓喜の叫びをあげ、自分の首にかかった劣等者の象徴である輪をとると、茶色い目の子供を捕まえ、無理やりそれを首にかけた。
そして青い目の子供は茶色い目の子供を馬鹿にしだし、また茶色い目の子供は卑屈になった。
この実験を終えた後、多くの子供からこんな感想が聞かれた。
自分が劣っている設定の時は、悲しい気分になり、“私は愚かで意地悪な人間だ” と思った。
自分が優れている設定の時は、幸せな気分になり、“私は賢くて良い子だ” と思った。
彼らの行動を見れば、彼らが愚かで意地悪な人間と感じている時ほど善良であり、賢くて良い子と感じている時ほど増悪であることが分かる。
しかし本人たちは全く逆のことを感じていた。
この実験は、差別について “いかに子供たちに教えれば子供たちが真摯に受け止めるか” について考察したものだ。
この本はアイデアの本であり、この話は “具体的に述べる” ことで人々を理解に導く方法として挙げられている。
人種差別という言葉を使っても、そんな抽象的な概念では心に響かない。
それを具体的にどういうことか体験させることで、ぼんやりとしたイメージしか持てない人種差別という言葉を、実体験としてはっきりした形で思い描けるようにする。
この実験を受けた子供たちは、実験から15年後、インタビューを受けた。
その時、彼らは「あれは決して忘れることのできない経験だった」と言い、人種差別について、我が身に置き換えて語ることができたらしい。
この実験は、問題が多い実験でもあり、今やったら、新聞沙汰であろう。
だが、確かに物事を伝えるという点においては、このやり方は優れている。
ただ、私がこの日記で書きたいことはそこではない。
この実験、これは実験ではなく、会社でも地域社会でも普通に起こっていることであり、実験なら終わりがあるが、社会では延々とそれが続いていることだ。
もうこれ以上言わなくても、大方の人は分かるだろう。
人間を区別する。レッテルを貼る。優劣をつける。物理的に場を分ける。
これは人種に限ったことではない。どこでも普通に行われていることだ。
そしてその後の状況も子供たちに起こったことと同じことが起こっている。
“社畜は嫌だ。評価を気にせず自分らしい働き方をしたい”
それが今のトレンドらしいが、会社が彼らをどう扱うか考えてみた方がいい。
欧米では、猛烈に働き、お金だけ稼いでさっさと辞める。辞めてから本当の人生が始まる。
昔の人は、猛烈に働き、暖簾分けで自分の店を持つことを夢みた。
なぜそうなるのだろうか?
ここに真実がある。
私は人生が一度きりか輪廻転生し二度、三度あるものか分からない。
でも、誰もが生きているのは今であり、今、よい人生を歩みたいと願っている。
「おまえはダメだ」というレッテルを貼られ生きる人生、たとえ金銭的には困らなかったとしても、人生を終える時、満足ができるとは思えない。
首に輪をかけられた子供たちがどうなったか?
私は、そんな人生なら “死んでしまった方が幸福かもしれない” とすら感じる。
<参考図書>
アイデアのちから チップハース+ダン ハース 著 飯岡美紀 訳 2008年 日経BP社
この話は “第三章 具体的である” の中の “茶色い目、青い目” から引用しました。
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