今回のコロナ禍の特徴は、正しい情報が出回っているにもかかわらず、人々は過剰に恐れ、パンデミックを起こしてしまったことだ。
コロナが流行り出した頃、すでに専門家は「コロナは風邪の一種であり、インフルエンザよりも毒性は弱い」と言っていた。
また「マスクは飛沫を防ぐ働きはあるが、咳をしていない人がしても意味はない」とも言っていた。
そして感染者数も死亡者数も、ただの風邪と比べ少なく、病気としてはたいしたことがないことを示していた。
普通の風邪との違いは「未知のウィルスでありワクチンがない」ということだけ。
ワクチンがなければ病気が治らないわけではなく、病気はこれまた人類にはまだまだ解明できていない免疫系で治している。
そもそも普通の風邪にしても、本当のところ解明されておらず、新型コロナウィルスと五十歩百歩。
にもかかわらず、なぜか新型コロナウィルスだけ特別扱いしてしまうのは、医療が病気を治すと信じる人々の医学信仰にすぎない。
インフルエンザの流行時には、職場でも1人や2人はインフルエンザにかかる人がいるものだが、今回のコロナ騒動では、まわりを見渡しても、誰一人、コロナウィルスにかかった人がいない。
もし本当に新型コロナウィルスが存在するなら、もう少しまわりに感染者がいてもいいものだ。でもただの一人もいない。
「新型コロナウィルスとは人々の心の中にだけ存在する架空のウィルスではないか?」とさえ感じる。
ただこの存在も怪しいウィルスの与えた影響は大きく、悪い面が目立つが、よい面もなかったわけではない。
それは世間一般で言われているように「老害が死滅し人口構成が健全化する」のではなく、「昭和のおやじたちが主張していた精神論は無意味と分かった」ことだ。
挨拶は大事とか、歓送迎会や飲み会といった行事がないと組織はまとまらないとか、休日に行われるレクリエーション活動への強制参加など。
全部、コロナが吹っ飛ばしてくれたが、これらがなくなり何一つ困ったことがない。
組織は滞りなくまわっているし、今までこれらを強制されてきた立場の弱い人たちの幸福度は増した。
結局、これらの活動は昭和の勝ち組オヤジが弱い立場の人たちにマウンティングし、自己満足を得るためのものだったにすぎない。
感染症の見えない脅威など、そもそも存在しないか、存在しても、今までとほとんど変わらない程度の脅威でしかなかった。
早い段階から医療関係者はそのことを発表していたにも関わらず、世界全国が発狂したかのようなパニックになってしまった。
これは病気の問題ではなく、大衆心理と民主主義という政治体制の問題だ。
人は正しい情報が出回っていても、それを正しく理解し、正確なリスクを見積もる能力がない。
そんな人々が集まり、その時々の気分で投票で政治家を選び、買い物で企業を選ぶ。
そのため政府は大衆心理に振り回され、企業はその大衆心理に乗っかる。
昔は情報統制が当たり前だった。
今回のコロナ禍で”なぜ情報統制が必要なのか?”よく分かった。
人口の大半は正しい情報を理解し行動できるほど賢くはない。
だからパンデミックを起こさないよう、バイアスがかかった情報を伝える必要がある。
この期におよんでまだ「首相が緊急事態宣言をやめれば感染症が広がる」なんて言っている人もいる。
人は見たいものしか見ようとしない。だから彼に何を言っても無駄。
それなら最初から何も見せない方がよかった。
新型コロナウィルスなど架空のウィルスであり脅威自体存在しない。
そうすれば自粛騒ぎはなく、不愉快なマスク着用の強制もなかった。
■緊急事態、21日全面解除=首都圏時短、午後9時まで―菅首相「できることやり抜く」
(時事通信社 - 03月18日 16:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6450677
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