15日日曜日は、1日日曜日に行き残していた奈良県香芝市内の社寺・史跡巡りをして来ました。
二週間前と同様、大阪難波0601時発東生駒行普通電車に乗車し、0605時着の上本町で下車しました。今回の車両は9820系でした。
0612時発名張行準急電車に乗り換えました。車両は1420系です。
0639時着の関谷駅で下車しました。
https://www.google.co.jp/maps/@34.5530303,135.6658641,17z
ここから屯鶴峯(ドンヅルボウ)〔奈良県指定天然記念物〕を目指します。
国道165号線を南下しましたが、通行量が多いのに歩道が無く、かなりヒヤヒヤしました。日曜日の早朝でコレでは、平日に歩いたら確実に死にそうです。ww
やがて、国道703号線との分岐点に到達しました。ここには万葉歌碑があります。
https://www.google.co.jp/maps/@34.5407647,135.667452,17z
「大坂乎 吾越来者 二上尓 黄葉流 志具礼零乍」
「大坂を 我が越え来れば 二上に もみち葉流る しぐれ降りつつ」
巻10ー2185の詠み人知らずの作品で、河内国から峠越えで故郷の大和国に入った際に詠んだ歌だと推定されています。
ここから、近鉄南大阪線に並行する国道703号線を西進しました。この道は西暦622年に亡くなった聖徳太子の遺体が河内国まで葬送されたルートであるため、太子道とも呼ばれていました。太子墓と法隆寺を結ぶ太子信仰の道だったのです。
やがて、金剛生駒紀泉国定公園エリアに入った辺(アタ)りに太子道地蔵磨崖仏(タイシミチジゾウマガイブツ)があります。
https://www.google.co.jp/maps/@34.5407647,135.667452,17z
高さ約1.6m・幅約2.3mの安山岩の巨石の向かって右側に宝珠と錫杖を持つ像高54cmの地蔵石仏が彫られています。『玉祐逆修(右)天文十七戊申年九月四日(左)』の銘文が有るため、「玉祐」なる人物が天文17(1548)年にこの像を刻み、仏事を修法して自分の冥福を祈る生前供養を行ったと考えられます。
さらに西進すると静かな水面(ミナモ)の西池があります。
その少し先に屯鶴峯(ドンヅルボウ)の駐車場があります。
屯鶴峯は、1500万年前の二上山の火山活動によって火山岩屑(ガンセツ)が沈積し、その後の地殻変動による隆起で凝灰岩が露出、風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山です。
https://www.google.co.jp/maps/@34.5413214,135.6609932,17z
サヌカイトや柘榴石閃緑岩(ザクロイシセンリョクガン)等の岩石が産出します。
古代に於いては古墳の石棺材や寺院の基壇等の石材の切り出し場でした。
灰白色の断崖が続くため、遠方から見ると鶴の群が屯(タムロ)しているような奇観のため、この名称で呼ばれる事となりました。
昭和12年から昭和20年の間は、目の前を走る大阪鉄道→関西急行鉄道→近鉄南大阪線に屯鶴峰駅がありましたが、今は公共交通機関で行くのは非常に不便になっています。
大東亜戦争(1941〜45)中に造られた複雑な防空壕がある事でも知られます。
帝國陸軍が本土決戦に備えた航空部隊・航空総軍の戦闘司令所として建設した物で、二つの壕に分かれています。
防空壕の一部は京都大学防災研究所附属地震予知研究センター屯鶴峯観測所として使用されており、地震予知研究計画の一環として地殻変動の連続観測が実施されています。
眺望も見事です。
周辺に楓はありませんが、櫨之木(ハゼノキ;Toxicodendron succedaneum)が美しく紅葉していました。
《続く》
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