よく「サラリーマン根性」と言われる表現がありますが、別にサラリーマンだけでなく、僕のような馬の骨でも、こうしたSNSに平気でブツクサ文句を書くだけで、いかにも自分も世の中をよくすることに参加しているかのような錯覚を持っていることがあります。そこのところをうまく描いた文章がありましたので、引用してご紹介させていただきます。
引用元はこちらです。
http://ameblo.jp/morishita-atsushi/entry-12200946291.html
(引用開始)
真面目に一生懸命働くベテランのパート従業員に、「店で一番売れないメニューは何だ」と聞くと、皆声を揃えて答える。「あの、切干大根の煮付けが売れませんね」と。
声を揃えて「切干大根の煮付けが売れない」と言うのは、よっぽど売れていないということが分かるわけだが、答えた従業員にもう一つ聞いてみた。「売れないと分かっている料理を平気で店に並べていて、あなた達は嫌なパートだよね、あなたたちはそういう人間なの?」と。そうすると、従業員達は困ったような顔をするんだよな。
しかし、お客さんが不味い料理を食べても平気な顔でいられる従業員ていうのは、ただ単に仕事を真面目に一生懸命働いているだけなんだ。“真面目に一生懸命働くこと”が良い事だと思っている。もし、お客さんに喜ばれる店にしようと思って働いていれば、「こんな大根の煮付けなんか売れませんよ」って誰か店長に言うんじゃないのか?誰一人何も言わないのは、真面目に一生懸命働いていればいいと思っているからなんだよね。その結果、「ひどい人だな」と言われて初めて、「え、私ってひどい事をやっていたんだな」と気づくんだ。だから、お客さんが喜ばないものを平気で店に並べられるひどい女になってしまったのは、お客さんに喜ばれる店にしようという考えそもそもがないからなんだ。では、お客さんに喜んでもらおうと思って仕事をすると、働き方はどう変わってくると思う?
(引用終わり)
サラリーマン時代に遭遇した出来事は、表向き「会社の為」と言いながら、その実「保身のため」とか、「上司へのゴマすり」とかいっぱい見てきました。すると、自分がやっていることも「会社の為」と思ってやっていても、それは仲間の足を引っ張たり、上司の期待を裏切ったりすることになって、結果的に組織人としては疎まれることになります。そうすると「真面目に働いてさえいればお給料はもらえる」という感覚に陥り、積極的に「切り干し大根の煮つけ」にクレームをつける気が起きなくなってしまいます。
10年以上前になりますが、小さなマンションの自治会の理事を担当したことがあります。このとき痛感したことは、「理事会」で「切り干し大根の煮つけが売れない」というようなレベルの些細な問題が沢山指摘されますが、決して自分たちで解決しようとせず、「市役所に言おう」とか、「業者に見積もりを取ろう」というように、他に委ねてしてもらおうとします。でも「自治会の予算」は赤字なのです。仕方なくこれまで積み残されてきたいろんな案件をひとつづつコツコツとホームセンターで資材を購入してきて自分でやってみたら、ドンドン捗るので、任期末には大方の課題は解決済みになり、翌年の理事さんの仕事が無くなってしまいました。
年度末の総会でみんなに感謝されるのかと思いきや、「これからの理事さんは大変だぞ!何でもかんでも自分でやらなきゃならなくなった」というのです。嫌気がさして、マンションを飛び出し引っ越しました。これではまた別の意味で「真面目に働いても、偉くもなんともない?」ことになりました。
世の中、本当に難しいですね!
ログインしてコメントを確認・投稿する