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2015年12月03日07:17

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シチリア史(14)

カラス戦法とは、画像のような架け橋を船に搭載し、これを敵船との間にかけて兵が乗り
込む。つまり、陸上戦闘と同じく白兵戦を海戦でも行おうとしたのである。この架け橋装
置を「コルウス」と呼んだ。これは日本語にするとカラスという意味なので、カラス戦法
と呼ばれるのだ。

こんな戦法でうまく行くのか?と言う気もするが、劇的な効果があった。紀元前260年
のミュラエ海戦で初登場したが、カルタゴ側がこの戦術を知らなかったこともあって、ロ
ーマ軍が大勝、カルタゴ艦隊は壊滅した。それまでカルタゴに海戦で勝利したことのなか
ったローマにとっての初勝利、というわけである。

これで当然ローマは勢いづく。余勢を駆って軍を進めていく。ここで注意が必要なことと
して、シチリアは丘陵部が多いうえに当時はまだ道路なども整備されていなかったから、
陸上を大軍が移動することが難しかった。なので、兵の移動は船によるところが大きかっ
たのである。

となれば制海権が重要である。シチリアを巡った第一次ポエニ戦争では、大規模な戦闘は
海で行われることのほうが多かったのだ。そんなわけで、ミュラエ海戦の勝利の後、ロー
マは大軍を移動することができるようになった。

イタリアの近辺にはシチリアの他にサルディーニャ、コルシカという大きな島がある。こ
れらの島もカルタゴの勢力下にあったが、紀元前259年にコルシカ島を占領。紀元前2
58年にはシチリア東部からカルタゴ勢力を駆逐した。

そして紀元前256年、この戦争の決着を一気につけるべく、ローマはカルタゴ本国への
攻撃を目論むのである。

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