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2015年08月26日07:17

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深く傷ついた女性性の癒し


 深く深く傷ついた女性性とその癒しのプロセスをめぐっては、OSHOと河合隼雄さんの他に、もうひとり重要な役割を果たしてくれたひとがあります。サイキックマッサージやスターサファイヤの創始者として名が知られているサガプリヤです。

 1991年、OSHOがボディを去って1年後のことです。ぼくとぶみかはサガプリヤのセッションとグループを初めて受けました。(実はぼくは初めてではなくて、1997年の初のプーナ訪問のおりにウルジャというサガプリヤがリードしていたグループに出ていたことがあるのですが、途中退席しています)

 このとき受けたサガプリヤのセッションはすばらしい切れ味で、深い深い女性性の傷の癒しと、それを庇おうとする男性性の切ないほどの努力についての洞察をもたらし、その後のぼくの生きてゆく方向性を示す大きな指針となりました。

 以下、2007年5月26日にmixi日記にアップした関連記事を再録します。

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 京都上高野の大明神荘時代の頃の忘れられない思い出のひとつに、サガプリヤとの出会いがあります。シュンニョやラーダたちの来訪から少し時間を巻き戻し、91年のサガプリヤとの出会いまで話を戻します……

 この年の11月、ぼくはブミカと共に再びプーナへと旅立ちました。以下、『TSUKUYOMI』10号に掲載したそのときの体験談『闇が輝くとき』に若干の変更を加えながら、ここに再録してみようと思います……

 デカン高原の赤い大陽

 1991年11月11日、ぼくはブミカと共にエア・インディアの直行便でインドに向いボンベイに降り立ちました。到着するとそのままタクシーを拾って一路プーナへ……。やがてデカン高原を走る道路の前方に大きく赤い大陽がゆったりと昇りはじめます。1年半ぶり、4度目のプーナでした。

 13年前に初めてこの国を訪れたときには、まるで眼鏡を新調したときのように、すべてのものが異様に拡大して見え、いたるところでハレーションを起こしたものですが、今や慣れ親しんだ近くの公園を散策しながら、ありふれた日常の光景を味わい楽しむように、吹き抜けてゆく新鮮な風をこころゆくまで味わっていました。

 インドという国土の力強い大地のエネルギーが次第に身体をつき抜けてゆきます。この乾燥した大地では草原に生えている樹木の一本一本がすっくり独りで立っていて、いい意味でも悪い意味でも、日本の風土の濃密な湿度を保ったなかに寄り合いながら生い茂る小枝のからまりを見ることはできません。この突き放したような乾燥した空気が何とも心地よく、鳥たちのさえずる声も多様で力強く、生命力に満ちています。

 プーナに着くと、ホテル・シュリマンに宿を取り、シャワーで汗を流すと、すぐにコミューンに向いました。OSHOイアから依頼された、トランスレーション・セクションで使う日本語ワープロ用のプリンターを早く手渡しかったからです。ウェルカム・センターでプリンターを見せて、とにかく大切なものだから早く担当者に渡して欲しいと急ぐぼくたちに、応対してくれたスワミは「何より大切なのは、帰ってきたきみたちだよ」とやさしく言って、一杯のお茶を静かに用意してくれました。

 時間と空間の密度が増してゆき、動作のひとつひとつがひとりでに速度を落としてゆきます……感覚器官が鋭敏に冴えはじめ、身体がすみやかにこのエネルギーのうねりに同調をはじめてゆきます。ここは広大なエネルギーの海……OSHOがボディを離れてから、帰ってくるたびに、このエネルギーの密度がいっそう濃くなってゆくのが感じられるのです。

 ウェルカム・センターで手続きを済ませた後、コミューンの正面にあるブッダラニ・ホスピタルにエイズ・チェックにいったのですが、待合室で順番を待っているときに、ちょっとしたエピソードが生まれたのです。ぼくたちが坐っていた席の近くに、よれよれのジーパンにぼさぼさ頭の、疲れた表情で、口をあんぐりと開けたMaが坐ったのです。ブミカが「ねぇ、サガプリヤじゃない?」と尋ねます。「似ているけど、ちがうんじゃない。サガプリヤならローブを着て、もっと毅然とした姿で歩いていると思うけど……」「ねぇ、やっぱりサガプリヤだよ」とブミカ。「似てるけど、サガプリヤはも少し若くて、しゃっきりしてるよ」と言いながら、下唇を指で引っ張って「ここが似てるだけだよ」と続けるぼく。それを見たブミカも同じように下唇を引っ張りながら「そういえばサガプリヤってこんなだったね。そんじゃ、彼女のお姉さんか、妹さんじゃない?」「どうだろう」……

 ふたりで下唇を引っ張りながら、そんな押し問答をしているうちに、そのMaとブミカの間に坐っていた女性が席を立ったので、好奇心旺盛なブミカはここぞとばかり近寄って、そのMaに尋ねたのです、「ねぇ、あなた、サガプリヤ知ってる?」……するとそのMaが笑いながら応えたのでした。「知ってるわ、私がサガプリヤよ。きっと私の顔が変わったんだわ」……あぁぁぁぁ!!、これがぼくたちのサガプリヤとのファーストコンタクトだったのです。

 ホテル・シュリマンに数日滞在した後、マウリヤのフラットに移り、そこに2週間滞在することになります……友人のサニヤシンの部屋の短期の又借りだったのですが、荷物を解いたとたんに旅の緊張が解け、疲れがどっと出てきてしまって、ふたりともいっぺんに体調を崩してしまいました。

 スター・サファイヤ

 ある日、まだ気怠い身体を引きずりながらコミューンに行くと、メインゲイトの近くですれ違った知り合いのサニヤシンから「今日、サガプリヤのスター・サファイヤのマキシム・セッションの掲示が出たからブッキングをしてきたけど、今ならまだ間に合うよ」という情報を得たので、すぐにブッキングを済ませたのでした。

 そして、翌日、ピラミッド・エリアの一室で行なわれたサガプリヤのセッションは、今回のプーナ滞在の方向性を決める決定的な契機となったのです。マキシム・セッションの参加者は4人で、そのときはぼくとブミカの他に2人の日本のMaが参加していました。

 「あなたは高名なセラピストで、サガプリヤという名前はずいぶん前から多くの友人たちの話のなかで耳にしていて、ぼくなりに関心があったのですが、なかなかあなたのグループや個人セッションを受ける機会がつかめませんでした。とくに大切だと思える人との出会いは、無理をしないように、焦らないようにしています。ぼくは本当に自然にそのときがくるまで待っていました。今日、こうやってあなたのセッションに参加したのは、今回プーナに来てすぐブッダラニで偶然鉢合わせしたこと、それを存在からのゴーサインと感じて、今日、こうしてここにきています」

 「ぼくは約1年半前に、シャルノがプーナを訪れていたとき、シャルノの部屋であなたに会っています。そのときぼくはあなたから“とても深い悲しみ”を感じました。それは“個人のレベルを超えたひじょうに深い悲しみ”の感覚でした。それが単なるぼくのマインドの投影だったのか、あるいはあなたから実際に放たれていた何かを感得したのかはわかりませんが」

 聞き終わると、サガプリヤは横たわったぼくの左右のエネルギーやチャクラのリーディングを行ない、そして、それが終わると、しばしの沈黙をはさみ、いくつかのコメントをしてくれました。

 「あなたが感じた悲しみは、あなただけのものではなく、私の日本での過去生とも関わりがあります。あなたの左のエネルギーは私の左とよく似ています。けれども傷ついた左をかばうために、あなたの右は過剰な努力をして、疲れ果て、消耗し切っています……」

  その言葉を聞いたとたん、ぼくのハートの深い深いところから、堰を切ったように悲しみが解き放たれ、とめどなく涙が溢れてきたのです。左の掌がゆっくりと上を向き、やがて何かを受け取るよううな仕草で、垂れた頭の額のところまですべるように上がってゆきます。その左の掌をサガプリヤは両手でやさしく包んでくれました。沈黙の時が流れ、やがて再びサガプリヤが言葉を続けます……

 「あなたが過去生で、その暗闇に蓋をし続けてきたために、悲しみがこんなに大きくなってしまったの。この膨大なエネルギーを、ちっぽけな右のエネルギーで支えてゆくことはできないわ。それを克服しようと努力することはよして、手を放し、その暗闇のなかに落ちてゆきなさい」


 
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