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2014年11月19日18:58

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「聲の形」アニメ化に思うこと。

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「聲の形」アニメ化決定!本日発売の週マガで完結&2月に原画展も

大今良時先生の「聲の形」がアニメ化されるとのことである。
一応マンガは六巻まで揃えているけれども、のりピーが主演した「星の金貨」以来、



メディアにおける聴覚障害のハナシは半分に視るようにしている。全部視るのはNHKがやっている教育番組だけだ。

もっともNHKにしてからが、私自身苦い思い出がある。

小学低学年時代、「聴力障害者の時間」という番組から出演のオファーがあり、担任のB先生と母親とともにカメラテストに出かけた。その時点で厳しい口話訓練をクリアした上に読唇術もマスターしていたので、補聴器をつけていても普通に喋れていた。それで番組が欲しい「聴覚障害者」に見えないとのことで、出演は別のコドモが出ることになった。母親は何も言わなかったが、明らかにホッとしていた。オヤジはオヤジで、「国営放送に出てみろ、おめえが死んでもカタワっぷりが残っちまわあ。恥かかずによかったって思え」とストレートに暴言で慰めてきた。

この経験以来、今でも私はメディア、マスコミ、そしてTV業界に対して激しい嫌悪感を抱いている。

視る方も視る方で、例えば「星の金貨」に感動して、手話教室に行ってまで本格的に学んだというオバちゃんが私と初めて会った時にドヤ顔で手話で挨拶してきたので、私は苦笑いして「イヤ、フツーに喋れますんで。すいません」と言ったら、向こうはひっぱたかれたようなカオで下唇を噛んでいた。明らかに恥をかかせやがって、空気を読めよ、この野郎という表情であった。

このどうしようもなさ。

女優の忍足亜希子さん主演の「アイ・ラヴ・ユー」が公開された時も、私は話題からそっぽを向いていた。そっぽを向き続けていると、聾学校の若い後輩が「手話は文化」などと口走ってきたので、思い上がるんじゃねえ、てめえが手話しか出来ねえからって、世のなかすべてが手話しなきゃいけねえって考えてやがんのか!と怒鳴るようにキーボードで打ち込んだ。そしたら聴覚障害者の裏切り者扱いされたので、これは根深いどうしようもなさだなと呆れてしまった。

すべての障害者の基本的な理念とは何か。

ハンディキャップを背負っていても、自分の力だけで生きていけることである。即ち、自立。そのなかで、聴覚障害者は手足も揃っているし、目も見えるし、かなり恵まれている方なのだ。見た目で障害者だと分からないので、発音で第三国人と決めつける低能がいるが、それもどうしようもないことで、とにかく恵まれていると考えて前に進まなくてはならない。決して手話自体に甘えたりのめり込んだりしてはならない。単なるコミュニケーションの手段なのだから、手話に文化性を見出したがるほど思い上がってはならない。それよりももっと大事なことがあるだろう、と。

そのあたりを「聲の形」も描ききれていない。結局、深く突っ込めないまま、障害を描こうとしているのに私は大いに不満を感じる。アニメ化されて、また半端な知識を得てドヤ顔で接しようとする輩が増えることだろう。障害者側にも。

ホント、どうしようもない。

私に比べて、近頃は障害者も健常者も生きるのがどうしようもなくド下手くそになってきている。そのことに彼らはこれっぽちも気づいていない。



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