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2014年09月29日20:01

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ピアノには、この国の記憶が刻まれている

昨日、うちにDIAPASONのグランドピアノが来たことを書きました。このグランドピアノ、実は中古で、ぴあの屋ドットコムさんで買ったことはすでに書きました。

このぴあの屋さんが、とても素敵なんですよ。ほんと。社長が、魅力的な人で、そしてピアノに対する愛情がいっぱいで。

かつて、ピアノが売れに売れた時代があったという。ちょうどそれは、僕がピアノを買ってもらった時。昭和40年代のこと。日本のピアノ生産台数は、そして昭和55年に年間39万台のピークを迎える。

だから、昨日DIAPASONと入れ替わりに引き取られていったうちのアップライトピアノは、社長の言葉を借りれば「ホントにたくさん、めちゃくちゃ売れた、カワイを代表するアップライトピアノ」。型番は、「BL61」、しかも(この歳になるまで知らなかったけど)、「Special」。

昨日、引き取られていく間際に、中に納められている納品書を見た。「昭和48年11月納品」。僕が10歳の時だ。

実は、僕にとっては2台目のピアノ。それまで3世代6人が肩を寄せ合っていた(今でいう)2DKの平屋の長屋から、新築の二階建て一軒家に引っ越すに当たって、両親がせっかくだからと一番いいモデルに買い替えたんだ。そんなに大して練習もしない、いい加減な子だったのにね。

最初のピアノは、おそらくは昭和44年納品。でも、そんな狭い長屋に、たとえ小さくてもピアノを据えた両親と祖父母の思いって、いったいどんなだったんだろう?僕が、ピアノが欲しい、といったのは確かではあるとしても。

戦前のそれなりに豊かだった時代を過ごし、戦争で何もかも失った祖父母と、戦後の日本を必死に生きていた両親が、戦争も知らず、戦後の混乱も知らない自分たちの子供にピアノを与える・・・・それは、彼らがやっとの思いで手に入れた平和と豊かさを、次の世代に手渡すということの象徴、記号だったのではないかしら。

今、そのころに作られた山のような中古ピアノがこの日本にはあって、それぞれがそれぞれの記憶と物語を抱えて眠っているのだ。右肩上がりに豊かになっていくあの頃の日本の記憶と、そこに生きる家族の物語を。

そんなピアノを取り上げ、埃を払って、次の物語へとつないでいく・・・・社長はいう、(だから)「希望があれば、いただいたピアノが国内のどこに嫁いでいったか、お伝えするようにしています」

やってきたDIAPASONの前の持ち主の物語はわからない。でも、DIAPASONというメーカーの物語と、大橋幡岩という天才技術者の物語を知ることはできる。それもまた、この日本の昭和史と美しく響きあう。そして、僕はこのピアノの音の向こうに、その響きを聴く。

ヘンデルのサラバンド、その下降音型の深い響きに嘆息しつつDIAPASONを弾く僕は、いまや50を過ぎ、また新たな物語をこのピアノと、家族と一緒に過ごしていくんだよな。

そんな出会いをくれたぴあの屋ドットコムさんに、感謝と、そしてこれからもよろしくという言葉を、今度の最初の調律で言いたいんだけど・・・・平日で、僕はそこにいられないんだよねえ、こすもす?


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