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2013年04月12日18:46

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新作「Burnt Offerings(燔祭)」は児童ポルノである。

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http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=1713

新作を書き始めた。
まだ「気がつくと腹の下に娘がいた。」の一文しか書き出していないが、クラウス・キンスキーをモデルにした父親の主人公のキャラを立たせるにはいいスタートを切ったと思っている。
タイトルは最初から「燔祭」にしようと考えていたから、英訳して「Burnt Offerings」。
ロバート・マラスコが書き、1976年にダン・カーティス監督が映画化した「家」の原題でもある。
詳しくは過去日記を。

今まで生きてて一番怖かった映画。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=152521924&owner_id=1640816

マラスコの作品における「燔祭」は人間の生命力を吸って生き続ける家そのものを差すのだが、原作で妻(映画ではカレン・ブラックが演じている)が老女の部屋に行く度におかしくなる様が「燔祭」の本来の意味をなしていると思った。
生け贄を捧げる側が昂揚するのは当然のことだが、生け贄として捧げられる側も昂揚するのである。
原作も映画も怖かったが――原題の「燔祭」、「Burnt Offerings」は実に奇妙な響きをもって、少年時代の私の心を魅了した。

今回、新作を書くにあたって、もう一度映画「家」を見直した。

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オリバー・リード演じる父親が家にとり憑かれて息子をプールで溺れさせようとするシーンは、執拗な撮り方で、少年の裸体を激しく水のなかへ突っ込むオリバーの形相を眺めているうちに、私も含めて多くの人が忘れがたい印象を持った理由がやっと分かった。あれはレイプ行為の暗喩であり、即ち生け贄の表現そのものなのだと。

それが分かったら、私自身の「Burnt Offerings(燔祭)」はもう書き進めるだけである。

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気がつくと腹の下に娘がいた。――

自分の娘や息子たち、そのクラスメートさえも毒牙にかける父親は、果たして何のために禁忌と陵辱を繰り返すのか?

神のようにしか生きられない人間とはいかなる存在か?

そこを透徹した視線で描いていきたい。

そして新作はあえて児童ポルノであると公言したい。もっとも私がただの児童ポルノを書くわけがないのだが――、コトバ自体の先入観をあざ笑いつつ、危険と混乱のなかにこそ人間のほんとうの姿は見出されることを証明したい。

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