生きることの意味を問う哲学
森岡正博対談集
青土社
哲学者・森岡正博氏と、四人の若手の哲学者や思想家(このへんの区別はよく分からないです)との対談集です。
第一章は哲学者の戸谷洋志氏と、反出生主義を中心とした議論です。戸谷氏は昨年、とても興味深い本を拝読しました。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984453094&owner_id=29675278
ただ、本対談においてエーデルマンの主張からベネターの思想への繋がりを紹介していますが、確かに自由主義・民主主義においてマイノリティを擁護するのは大切だとしても、社会の設計を全てのマイノリティに合わせる事は不可能ですので、一種の切り捨ての基準やマイノリティに辛抱してもらう対価についての議論にリソースを割くべきではないかと思います。私自身は反出生主義者に対しては(たぶん)冷たいのでそう考えるのかもしれません。ネット等で反出生主義に触れて興味を持ったり共感してしまった方は、ぜひ森岡氏の「生まれてこないほうが良かったのか?」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1977585622&owner_id=29675278
をご一読ください。
第二章は、哲学研究者の小松原織香氏との、加害者―被害者についての問題です。小松原氏自身が性暴力の被害者でありながら加害者の更生にも関わっていたり、環境問題やジブリの研究をするといった異色の存在です。加害者―被害者の問題は、犯罪だけでなく、森岡氏が挙げるように、日本にいる男であるだけで(というより、おそらく、先進国の国民であるというだけで)世界の基準では加害者側にいると自認せざるを得ないでしょうし、もっと極端に、存在するだけで加害者、ともいえると思います。とても考えさせられる議論です。ただ、私自身が加害者としての側面を持っているとしても、私が許せない人に対して、生きていて欲しいとか幸せであって欲しいとかは決して思いません。
第三章は哲学者の山口尚氏との、大森荘蔵の認識論や存在論、自由意志に関する議論です。私は不勉強にも大森哲学についてはほとんど知らないのですが(以前から読まなければとは思っています)、知らないせいでしょうか、とても独特な哲学という印象を持っています。ロボットの意識や意思に関しては現代のホットなテーマでもありますので、興味深いです。
読み終えてから気付いたのですが、こちら「難しい本を読むためには」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983377309&owner_id=29675278
の著者でした。
・・・・・
山口 (前略)そこで大森は、帰納法は正当化可能なものではなく、むしろ我々は帰納法に命を賭けて生きているのだと考えます。すなわち、これまでとは違うようになる可能性はあるけれども、そうならないほうに賭けて生きている。(中略)僕はそこに一種の実存主義を見出します。すなわち、つねに無根拠な場での命がけの決断がある、ということです。
・・・・・(P122)
この命がけの決断は、ビジネスの世界でも同様ですね。演繹法でビジネスをできたらどんなにラクか。宗教ビジネスですね。
第四章の永井玲衣氏は、哲学研究者でファシリテーター?という立場だそうです。対話や言葉がテーマで、自身の研究や哲学カフェでの経験を踏まえた、リアリティのある対談でした。
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永井 (前略)生まれてきてよかったのかという問いに簡単に立ち向かうのではなく、その問いを支えきるために、例えば本を読んだり他者と対話したりして、まずは自分を育てないといけない。(中略)問いと共に歩き、時に問いを背負ったり、膝をついてしまったりするような日もあるけれども、それでも問いと一緒にいるということが哲学なのだと思っています。
・・・・・(P177)
うーん、この覚悟がないから私はダメだったんだろうなあと思う一方、自分を育てる事をせずに主張や情報を発信する人の多い現在の社会にげんなりしてしまいます。
森岡氏による各章の解説もとても重要で、また、第五章では森岡氏が自身の研究や活動を振り返り、今後の仕事について宣言しています。氏は「無痛文明論」を未完とされていますが、私は「無痛文明論」は哲学的な生き方についての宣誓であって、最終的には「無痛文明論・上下巻」になるのかもと夢想しています。
御大と若手の方との対談という事で、現代哲学の最前線に触れながら、哲学者はどんな動機や関心でもって研究や活動をしているのか、という事も分かる一冊です。
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