そして、その「マーラー教」の「ミサ」には、それを執り行うに相応しい「司祭」が必要であるということも。
名古屋 愛知県芸術劇場コンサートホール
名フィル第506回定期演奏会
小泉和裕指揮 名古屋フィルハーモニー交響楽団
(コンサートマスター 荒井英治)
安井陽子(ソプラノ)
福原寿美枝(メゾ・ソプラノ)
グリーン・エコー&名古屋コール・ハーモニア(合唱)
マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
もともとはコロナのこともあって行く予定にはしていなかった演奏会。ところが、前回の京響の「復活」のあまりのあまりさに、即その夜、名フィルのHPにアクセス、ほとんど残っていなかったわずかな残席を押さえて急遽参加することにしたのでした。
結論から言えば・・・・遠路はるばる名古屋まで出かけた甲斐がありました。
はっきり言っていいですか?
これが・・・・これこそが、「復活」、です。
ぐすたふくんは、これを聴くために生きているんです。大袈裟でもなんでもなく。
良かった、聴けて。
勢いでもひとつはっきり書いてしまうが・・・今日の演奏、突っ込みどころは満載です。バンダのホルンのピッチがそろわないとか、ペットの最高音が固くなるだとか、ストリングセクションが一瞬がたがたっとなるとか、なんとか、かんとか・・・・この間の京響のほうが数段上手かったです。合唱だって、わずか100人程度の薄い響き、特に男声が非力で「mit fluegen〜」の最高音があんまり聞こえないとか、いいだしたらキリがない。
でも、そんなことどうでもいいんです。小泉和裕大司教の棒の前にあっては。そして、その棒の指し示す先に屹立する、第5楽章の荘厳なる音世界の彼岸を前にしては。
同じ音高、同じ音量、同じ音価、同じ音色・・・物理的測定値が全く同じでも、なぜ全く違う「音楽」になるのか・・・ずっとずっと練度の高い秀逸な演奏よりも、傷だらけの演奏の方に圧倒的な感動を覚えるのか・・・・・・それこそが「マエストロ」の証、なのだろうけれど、これまで何度も経験したこととはいえ、そのことにただ呆然とする思い。
それ故に・・・その奇跡を、一期一会を求めて、僕はコンサートに通うのだ・・・何度となく嚙み締めたこの想い、今日また新たにしました。
小泉さんの音楽はますます大きくなっていて・・・一体、どこまで行かれるのだろうか?名フィルの監督今年度限り、そうなると関西在住のぐすたふくん、来年度からはもうほんとにお会いする機会が無くなってしまうのかも。
前にも書いたが、僕には心残りがある。センチュリーで聴けるはずだった小泉さんのブルックナーの9番を、何とか聴きたいという思い。今日を聴くと欲がでて、マーラーの9番も聴きたいと思ってしまうが、それはそれとして・・・・京響さん、お願いです、考えていただけないでしょうか?
追記
ソリスト二人の熱演も特記すべきと思って追記します。特にソプラノの安井さんの、まるでオペラの一場面かのような身振りと熱唱には感服。この曲、メゾの方が見せ場が多いのですが、その福原さんの流石の貫禄をさえ食ってしまいかねないほどだったと思います。
追記その2
ホールを出ると、すっかり暗くなった広場。ライトアップされたテレビ塔を見ながら
「Auferstehen, Ja, Auferstehen・・・・」と思わず口ずさみ、ふっと目が潤むのを抑えられなかったです。
幸せな1日でした。
ログインしてコメントを確認・投稿する