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2022年06月17日07:45

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クルマ0328 戦後は?(オデッテ・シコ)

1923年にCHENARD & WALCKER(シェナール&ウォルカー)というフランス車(本稿0232参照)の優勝で幕を開けたル・マン24時間耐久レース。その100年に及ぼうかという長い歴史上、多くの女流レーサーが活躍してきましたが、最も良い戦績を残した人は誰だかご存知ですか?

その女性はOdette Siko(オデッテ・シコ)というフランス人で、実力を兼ね備えた評判の蛾眉(がび=美人)でした。
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彼女は1930〜33年に4年連続でル・マン24時間耐久レースに出場しています。
1930年はMarguerite Mareuse(マーガレット・マレース)と組んで直列4気筒1496ccのブガッティT40(ゼッケン25)で総合7位(クラス1位)になりましたが、同じパートナー・同じクルマ(ゼッケン22)で参戦した1931年は45周目(約5時間)に燃料補給違反で失格になっています。
そして1932年。彼女はLouis Charavel(ルイ・シェラヴェル)と組んで、スーパーチャージャーで武装した直列6気筒DOHC1752ccエンジンを擁するアルファロメオ6C1750(ゼッケン18)で179ラップし、総合4位(クラス1位)になりました。
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これが長いル・マン24時間耐久レースの歴史上、女流ドライバーが残した最高の成績です。
4年目の1933年も同じパートナー・同じクルマ(ゼッケン20)で参戦しましたが、168周目(約15時間)にコースアウトして立木に激突、リタイアを余儀なくされました。
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なお、傑作の誉高い一連のアルファロメオ(戦前)に関しては、本稿0088〜0092を参照してください。

166台もの参加があった1935年のモンテカルロ・ラリーにはSimone Louise des Forest(シモーヌ・ルイ・デ・フォレスト)のナビゲーターとしてトライアンフ(ゼッケン121)で参戦して36位に、1936年のCritérium de Paris-Nice(パリ〜ニース)ではゼッケン24を付けたドライエ(本稿0119参照)で参戦して13位になっています。

1937年は速度記録に挑戦しています。上述のシモーヌ・ルイ・デ・フォレスト、Helle Nice(エレ・ニース)、Claire Descollas(クレア・デスコラス)といったそうそうたる女流レーサーを率いてモンレリー・サーキットに乗り込み、5月19〜29日に3.6リットルのマトフォードで25の国際速度記録を作りました。
なお、マトフォード(MATFORD、1934〜40年)というクルマはあまり知られておりません。フランスのマチスとアメリカのフォードのジョイント・ベンチャー企業で、マチスの車体にフォードV8エンジン(2225または 3621cc)を搭載したクルマを生産していました。マチス(MATHIS)とフォード(FORD)を合わせた名称です。

1939年1月18日、彼女はLouise Lamberjack(ルイ・ランバージャック)のナビゲーターとして上述のマトフォード(ゼッケン36)でモンテカルロ・ラリーに参戦し18位になっています。

https://youtu.be/jcmNXcFrIJA

7ヶ月強経過した1939年9月1日、ドイツ軍によるポーランド侵攻を契機に第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)が始まりました。戦争は1945年5月9日に終結しましたが、戦後の彼女の情報はありません。レースから引退したのでしょうか?戦争で災難を被ったのでしょうか?

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