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2022年06月08日23:18

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どちらに傾ける?「死ぬまでの暇潰し」

■加藤智大死刑囚の境遇に自らを重ねた犯罪者、秋葉原通り魔事件から考える「男の生きづらさ」
(週刊女性PRIME - 06月08日 15:20)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=235&from=diary&id=6987757

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私も貴方も遅かれ早かれ死ぬ。死ぬまでの暇潰しが人生だ。多分これは間違いない結論だ。

で、どちらに傾けるかという2択がある。
「どうせ死ぬから周りの迷惑を考えず好き勝手やる」
「どうせ死ぬから明るく楽しく前向きに生きる」
いずれも論理的な結論だ。

本記事に書かれている社会と隔絶している方々の生き方は「前者寄りの考え方」でかなり危ういとは思う。

私は後者の考えのつもりだが、別に品行方正な聖人君子ではなくて、ぞくぞくするくらい俗物だという自覚はある。別に前者が間違っているとはいわない。ただ、前者の考え方は「自分一人VS全世界(まあ全世界の大半には本記事のように「無視」されるわけだが)」となる。「周囲からの反撃が手厳しすぎる」のだ。

一時的には「ズル」「サボリ」で利得を得られるかもしれないが、その後のしっぺ返しがきつ過ぎる。私は全世界に抗し得る自信がないし、さほど能力も高くない。なので後者を選んでいる。

後者の考えを選べば少なくとも全世界が敵に回る(無視される)ことはない。

家族や友人などある程度考えの近しい仲間との共同体を維持できれば、ずいぶんと生きやすい。属する共同体が1つだと、その中で人間関係が破綻した途端に加藤死刑囚のように人生が即座に詰んでしまう。なので属する共同体は可能な限り複数確保したい。

とりあえず死ぬ瞬間に「辞世のギャグ」を残して死にたいので死ぬまでそれを考えることにしている。自分の死を避けることはできないが、なるべく先延ばしする努力はしつつ、自分や周囲に自分の死をも笑い飛ばしてもらうことは目指せる。

「周囲に見下される」なんてつまらないプライドにこだわらずに、周囲とささやかな交流、地域社会への貢献を考えられれば良いのになぁとは思う。他人に主張するのはあなたが幸せになるのを邪魔する「よろしくないプライド」だ。他人とのかかわりあいではなく、自分単体で軸として据えられるものが「良いプライド」だと思う。

世の中の問題の大半は「人間関係」であり特に「身内や味方」との誤解やコミュニケーション不足がほとんどだ。敵対や拒絶のほうがある種ラクなものだから、ついついそちらにながれてしまうのだろうが。
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