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2022年02月27日20:09

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【ブックレビュー】「完熟」の老い探究

「完熟」の老い探究
(副題)プラトン・アリストテレス・キケロも悶々
瀬口昌久著
さくら舎


 長らく「老い」に抗う業界におります。ところが昨今は、反差別や反ルッキズムの影響か、「老い」を受け入れて美しく老いると提唱する美容家もいます。国民の大半が高齢者になる社会が現実になろうとしているのもあるかもしれません。「老い」の先にあるのは「死」です。報道等で新型コロナ感染症での死者数を知るのが日常となってしまいました。また、大規模な戦争も始まり、「死」が身近になりつつあります。


 本書は、工学部の学生に工学倫理(技術者倫理)を教えている、古代哲学を専門とする著者が、老いる事や死ぬ事について、プラトンやアリストテレスら哲学者がどう考えていたのかを紹介・考察する一冊です。


 古代ギリシアには意外にも高齢者が多く、現代と同様に、痴呆症や介護の問題が存在していました。現代のような健康保険や年金はありませんが、核家族でもありませんので、何とかやっていけたのでしょう。奴隷もいましたし。よく誤解してしまうのですが、古代ギリシアの奴隷は近代の北米での黒人奴隷とは違い、市民になれたり市民から奴隷になったりと流動的な身分で、待遇も悪くなかったようですね。


 「老い」や「死」の問題となりますと、切り離せないのが「幸福」「不幸」です。第1章で古代の「老い」、第2章で老年期がプラスかマイナスか(このプラトンとアリストテレスの老年観の違いはふたりの哲学の特長がよく出ていて興味深いです)、第3章で老化・病気・性・死、について考察(「死」について腑に落ちる事が多いです)した後、第4章で幸福や社会制度について考えています。


・・・・・
 幸福は感じ方ではなく、生きるという行為です。どうやって生きるか、何をして生きていくかを追い求めること。気分や感覚ではなくて何かをする行為なのです。
 充実している命の生き方、充実している生の生き方。その行為です。たとえば、仕事をしているときの達成感。そういうものに幸福は含まれていると思います。
・・・・・(P153)


 自分や他人の幸不幸を一段上の視点から評価して、「生まれてこなければよかった」と欝々とするのが(相変わらず)流行しているようです。そのような静的な捉え方では、たとえ99%が幸福でも1%の瑕疵が目についてしまい、完全な幸福でなければ価値がないような気がしてしまいますね。そうではなく、行為そのものが幸福であるというのが著者の主張です。仕事でも遊びでも良いので、夢中になれる物がある人が幸福なのだと私も思います。



 ちょっと難しいというか意見が分かれるのは、高齢者の政治参加かもしれません。プラトンやプルタルコスの時代はもちろん、近代とも違い、インターネットが普及してからは、高齢者の持つ知識や経験の価値が暴落してしまいました(若者が賢くなったとも思いませんけど)。今後訪れるAI時代では、知恵や思考力や判断力も不要になるのでしょうか。現代では政治に関する議論も複雑で高度になり、高齢者にとっては参加するのが困難です。しかし、著者は幸福についてと同様、行為・行動を大切にと主張しています。


・・・・・
 政治参加とは特別なことではありません。日常の生活において公共の精神をもって生きることこそが、じつは真の政治的行動なのです。
 そうした広い意味での政治参加、公的活動をすることによって、よい人生を歩んできた老人のもつすぐれたものが、世の中や多くの人によい影響を与えます。老人のもつすぐれたものを、プルタルコスは「理性」「見識」「率直さ」「思慮」としています。
 高齢になったからそこできる、国や社会への日常的なかかわり方を、プルタルコスの著作は示しています。
・・・・・(P226〜P227)


 若者に対して説教を垂れたり武勇伝を聞かせるのが高齢者の役割ではなく、日常の行為で示すべきだという事ですね。「よい人生を歩んできた老人の」という条件が付いていますので、私に可能かどうかはものすごく不安ですが。ただ、「老い」を果物の完熟に例えたセネカやキケロの引用にあるような、枝からの自然な離れ方は理想としたいと感じました。



 誰にでも訪れる老化と死という普遍的なテーマを通じて、古代ギリシア・ローマ哲学の入門書としても楽しく読めます。また、想定読者の年齢を考慮したのでしょうか、字が大きく行間が広いのも高評価です。

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