今年のオスカーにもノミネートされている本作はヤングケアラーへ切り込む作品だ。コメディ色の強い作風で明るく楽しく前向き。同時に困難な現実の問題を描く。
マサチューセッツで漁を行うルビーたちロッシ一家。
家族全員が聾亜者――コーダ(CODA)のなかで、ルビーは唯一耳が聞こえる健常者である。ゆえ彼女は家族にかわり、自身の耳と手で家族の言葉と意志を代弁する。だが歌が好きなルビーの才能を見い出す教師ヴィー *1 の登場で転機はおとずれる。
父も母も兄も破天荒ながらルビーへ愛情を注ぐ理解者である。ただ3人は自身らの聾唖を娘/妹が「担保」する事実を「当たり前」と強く認識してはいない。
その娘/妹が自身の人生を意識したとき家族に「選択」がおとずれる。
「聾唖の一家をケアする家族」がいることは「なにも悪くない」。だが「家族のために個人の人生が制約」されることはやはり「ただしく」ない。
おそらく観た人に「ルビーと家族がなにを選択するか?」予想はついてしまうだろう。そうして「選択」とは、やっぱり片方の「選択」を差し出すことなのだ。*2
問題は代価の差し出し方。
ルビーとロッシ一家は衝突し、和解し、泣き、笑い「選択」した一方に邁進することで以前以上の絆を築く。
最後に手話をまじえながら歌うルビーの「青春の光と影」はまさに彼女を象徴した歌詞。胸を打つ。結末の掘り下げ片が甘く、理想的すぎるきらいもあるが、 *3 多くの人の感動を呼ぶ1本だ。
※1 そしてヴィー先生(エウヘニオ・デルベス)がとてもいい。パッション、パッション、パッション、歌え歌え歌え、と、ルビーの才能を認め厳しくも暖かい。最後の最後である伴奏をわざと間違えてくれるところがとてもよい。
※2 行く道の両方は選択できないのだ。
※3 作中で一家をゆるがすことになる漁協の問題やルビーがいなくなったあとの問題がなんとなく“解決”をしてしまうところは物足りない部分である。
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