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2021年06月26日01:16

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キーワードは「縁(えにし)」それは、僕も同じ・・・京響定期

広上さんの想いがこもった演奏会。そこに居合わせられたことの幸せ。それを許してくれためぐり合わせ。選ばれた曲と僕の記憶。すべては偶然ではないのかもしれない。

京都 京都コンサートホール大ホール
京響第657回定期演奏会
広上 淳一指揮 京都市交響楽団
(コンサートマスター 石田 泰尚)
ヴァイオリン独奏 米元 響子
ウェーベルン(シュウォーツ編):緩徐楽章 (弦楽合奏版)
尾高惇忠:ヴァイオリン協奏曲 [世界初演]
グリーグ:「ペール・ギュント」組曲 第1番 作品46、第2番 作品55
(アンコール 佐藤直紀:「青天を衝け」テーマ音楽)

プレトークが6時半から。職場が大阪のぐすたふくん、普通なら間に合うわけがない。だから、今日は午後から休みを取りました。

休みをとったことで、家内の検診に付き合うことができただとか、家の懸案事項を解決できたとか、副産物も得られたのだけど、ひとえに今回、休みをとってまでこの演奏会に参加しようと思った理由は、広上さんの指揮でウェーベルンとペールギュントが聴ける、その魅力が一番。さらに言うなら、僕にとってのこの二曲が特別だから。

ウェーベルンのこの曲は、大学時代、妻とカルテットをやった最初の曲。FMをエアチェック(懐かしい!)したカセット(!)を聴いて気に入ってくれた彼女と、心斎橋のYAMAHAで楽譜を探したのは35年前の今頃。

ペールギュントは、10歳の僕が、初めて生で聴いたオーケストラ曲。それを聴かせてくれたのは、伊吹新一指揮する48年前の京都市交響楽団。その時の「山の魔王の宮殿にて」の胸のときめきが、今のコンサートゴーアー・ぐすたふの原点。

広上さんがプレトークで言う。「今日のプログラムは、僕には珍しく、ストーリーがあるんです」と。そして、そのキーワードは「縁」であると。それは、広上さんの「縁」。でも、それに僕の「縁」がシンクロすることの不思議、それが今日という日をくれたことの不思議。

コンサートの中核は、真ん中に置かれた広上さん恩師の遺作コンチェルトであることは間違いがない。このコンチェルト、一聴してわかるのは、作曲の尾高氏の師匠である矢代秋雄とパリ音楽院の、連綿と受け継がれる流れの中にあるということ。アカデミックな佇まいと、繊細で美しく響く「響き」の抗しがたい魅力。ぐすたふくんは、矢代作品、とりわけピアノ協奏曲が大好きなので、その系譜の新曲が聴けたことが素直にうれしい。デュティユーやメシアンを思わせる響きにフランスを感じていると、唐突に伊福部作品のような泥臭いといっていい旋律が混入、それが僕の中に懐かしいような感覚を呼び起こす。日本人の作品だ、と気づかされる。

広上さんの指揮もさることながら、一層今日の演奏を魅力的なものにしていたのは、5人の打楽器、チェレスタ系鍵盤楽器二人とハープを擁する14型二管フル編成の巨大オケをバックに背負ってもびくともしない、米元譲の朗々たるヴァイオリン。よくまあ、ここまで聴こえるもんだ、と舌を巻く。

そして、広上さんの棒がいつもにもまして熱いパッションを放つウェーベルンとペールギュントでは、ホールの空気が変わる。この二曲、こんなに濃厚な曲だっただろうか?また、その棒に前のめりについていく京響の音の素晴らしさ!「オーゼの死」と「ソルヴェーグの歌」での音楽は、正に「祈り」。陶酔といっていい時間だったです。

人と人との出会い、繋がり、その不思議、でもその結果として「今」がある、「自分」がいる・・・そんな万感の想いを乗せて奏でられる「青天を衝け」のテーマ・・・・その真に感動的なアンコールをもって閉じられた今日の演奏会、そこに僕が来ることができたこと、それを選べたこと、そのこと自体がやはり「縁」。

ただただ、そのことに「感謝」です。
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