■進むミスコンの脱・性別化 それでも根強い「やめたら」
(朝日新聞デジタル - 09月26日 13:12)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6245880
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ある分野での「評価」をするとその分野で劣位にある人が「差別だ」と騒ぐ構造はあまり好ましくないでしょうね。
「誰かをほめること」=「ほめられてない誰かをけなすこと」ではないのですが。なぜか、特にミスコンのような外見を評価の中心にすると「差別的だ」という声が出やすい気がします。
自分と異なる価値観をたたくための理由に多様性を用いていると言いましょうか。
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本記事引用:
廃止に至るきっかけは、学内外からの「大学の多様性に反する」「いつまでやっているのか」といった批判だった。大学側からもやめるよう求められ、実行委は昨年から議論を開始。ダイバーシティー(多様性)が叫ばれる時代に、従来のやり方では「ミス=女性らしさ」「ミスター=男性らしさ」という価値観の押しつけや、ルッキズム(外見差別)を助長する可能性があると判断した。
ソフィア祭実行委コンテスト局長で2年の荒尾奈那さん(19)は「多様な価値観を認め合うグローバル化の時代に、従来のミスコンが問題をはらんでいることに気づいて欲しい」と話す。自身は、最終選考で女性がウェディングドレス、男性がタキシードを着用することが「結婚=ゴール」という価値観の押しつけになりかねないことに気づいたという。
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「価値観のおしつけ」という理屈がよくわからない。なんで? ミスコンで落ちた人に対して会場に見学に来るように強要でもあったのでしょうか? その人たちにタキシードやウエディングドレスを着るように強要したのでしょうか?
「スポーツ競技はスポーツ音痴の劣等感を刺激するからやめろ」ということにはなりますまい。「仕事ができるやつにだけボーナスを上げるとその他のやつへの差別だからやめろ」とか?
ダイバーシティー(多様性)が叫ばれる時代というのならば、なおのこと、それぞれの分野での評価を認め、自分と異なる価値観も認めるところからら始めましょうよ。と個人的には思います。
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