私は、今まで女性ばかりの環境ですごしてきたが、一度もアバンチュールみたいなことになったことがない。プライベートで出会いもなかった。
それは私の顔に原因がある。
男性からみれば「性欲のない男などいない」ことは当たり前のことなのだが、女性はそのことを知らない。
ちょうど私たちが清純系の女子を見て「彼女には性欲などないだろう」と思うように、彼女らは彼女らで顔立ちが清純系の男子を見ると勝手に「彼には性欲などないだろう」としてしまっている。
ブスには2種類の人がいる。
ブスであることを自覚している人と、ブスであることを自覚していない人。
女性はブスに生まれると、恋愛などを経験できないので、幼稚なまま大人になってしまう傾向がある。
自分の思いだけで相手の気持ちがない。
それも当然のことであり、いくら自分から打っても多くの男性はブスにはレスポンスを返さないから、彼女らはその先に進めないのだ。
そのことを自覚している人は、他のことで経験を積もうと考える。
しかし多くのブスは男性からレスポンスがないことを自分が拒絶されているとは考えず、レスポンスがなくても、自分の気持ちだけ、ずんずん先へ進んでしまう。
まるで小学生の子供のようなものだ。
ある40代の非常に醜い容姿を持ったおばさんが、こんなことを話しだした。
「○○くん(イケメン俳優)がコロナに感染してかわいそうだ。きっと困っているだろうから、もし彼の住所を知っていたら、毎日、食事を作り届けてあげたい」
本人はクソ真面目に言っているのだが、それを聞いた男性が感じるのは「このドブス、マジで気持ち悪い」である。
なるほどイケメン俳優が自宅を特定されるのを極度に嫌うのもよく分かる。
綺麗な女性でも小学生の頃はこういうことを言うが、高校生にもなれば、こんな愚かなことは言わない。
美人、ブスと関係なく、そういう行為が相手には気持ち悪いと感じられることを知っているからだ。
それは男性と接する中で彼らのレスポンスを受けることで知るようになる。
美人は男性からたくさんのレスポンスを受けるので、大人になる前には、それぐらいの知識はつくものだ。
性格が悪いから醜いのか?醜いから性格が悪いのか?と言われれば、
圧倒的に「醜いから性格も悪くなる」のであり、悪い性格に生まれたのは遺伝子のせいであり、本人のせいではない。
彼女らが幼稚なのも、知的な障害があるわけではなく、顔が悪いからである。
そんな幼稚なブスは、人の嫌がることを、それと知らずにずけずけ言う。
そんなブスと話していると、時々、こんなことを言われる。
「佐藤くんがキャバクラや飲み屋に行くなんて考えられない」
それに続けて
「清純な顔立ちで女性などふれたこともない感じ。綺麗な顔立ちで、真面目で、温和で、やさしげで・・・」
これらを要約すると「去勢されたような男」である。
こちらが「話を続けるのをやめて欲しい」というメッセージを送っても、おかまいなしに思ったことを言う。
相手が感じたままに言うので、私も感じたままに言う。
「いや。結婚ばかりが人生じゃないないよ。あきらめるってことが大事なことだってある。最近、そのことをよく感じるよ」
そう話すと
「ダメ。あきらめちゃいけない」と言い出す。
いえいえ「私が」ではなく「おまえが」で話しているのだが、ブスにはそれが分からない。
ブスとの交流は不愉快なことが多いが、相手に配慮できないブスの意見は、自分の顔が相手からどのように見えるのかを教えてくれる。
ブサイクな顔が彼女らにとって呪いであるように、顔はその人の人生を歪める呪いでもある。
その人の心と顔は一致しないが、他人は心ではなく顔でその人を判断する。
清純系の顔立ちをしていても性欲旺盛かもしれないし、ワイルドな顔立ちをしていても修道僧のように清純な人かもしれない。
でも、他人は顔で判断する。
これらのブスもただ大人になれないだけで、本当は美しい心を持っているのかもしれない。でも男性はブスは心も醜いと判断する。
もし彼女らに「あなたの言うように外見で人を判断するなら、あなたはとても醜い心を持つ人ですね」と感じたことを言えば、彼女らは怒り出す。
彼女らが怒りだしても、それが男性の本音でもある。
ややブスに対する憎しみが現れてしまったが、ただこういうありのままの意見は必要でもある。
他人にとって自分がどのように映るのか?
たいていそれは顔からくるイメージでしかないのだが、そのイメージに逆らって「これが本物の俺だ」と言っても、誰も聞いてくれない。
自分のイメージをふまえた上で、そんな自分に関心を持ってくれる異性を考える。
人間関係において「本当の自分」は、家族や友人などごく少数の中でしか通用しない。
大部分の人間関係は、顔のイメージによって判断される。
顔を変えれば運命が変わるのは当たり前のことであり、美しい顔になれば、その人が美しい心を持っていなくても、美しい心を持つ人として扱われる。
「その人の生き方が顔に出る」と言う人がいるが、それはよい顔に生まれた人の傲慢でしかなく、真実は「その顔をしているからそのような人として見られる」である。
私も、ブス同様、自分の顔を考えずに生きてきてしまった。
私は自分が「去勢されたような男」とは思わない。
でも私の顔は「去勢されたような男の顔」である。
もし私がワイルドな顔をしていれば、私の心はまったく変わらなくても、女性の中にいれば、アバンチュールが発生しただろう。
「佐藤くんってセクシー。きっとセックスも好きに違いない」
女性にそう思われることからアバンチュールが発生するが、これは私が何かしたとかではなく、顔が原因である。
人は自分の顔を変えられない。
一部の人は個性は作れると言い、ワイルド系の男になるように努力することを勧めるが、彼ら自身、ワイルド系の男なのは、生まれ持った顔がそうであったからであり、努力して得たものではない。
すべては遺伝子により決まる。
今、アダルトビデオで男女のシェアハウスで肉体関係が発生しまくるものを視ている。
女の中にあってセックス三昧になるか修道僧になるかは、その人の顔が決める。
また男性から見て清純そうに見える女性。そういう女性は清純そうに見える男性の女性版。
彼女が男の中にいても、セックス三昧にはならない。たとえ本人がそれを望んでもだ。
男性の中で「この人は性欲などないに違いない。触ったらセクハラになってしまう」そう判断されるからだ。
人は心ではなく顔である。
清純系の顔立ち、つまり去勢されたような男の顔立ちをしている私は、プライベートで女性と縁を持つことは難しかった。
セックスがしたくなるような動物的な魅力から恋愛に至るのではなく、結婚を前提にした真面目な交際から徐々に結婚に向かって進む。
今みたいな自由恋愛の世界ではとても不利である。
でも顔は変えられない。
自分の望む望まないにかかわらず、顔によって結婚する方法は大きく異なる。
人の意見は参考にならないことが多い。むしろ有害だ。
違う顔には違う運命がある。
彼らは、プライベートで知り合ったり、コンパを通して知り合い、セックスから入り結婚した。
でも私は、お見合いや婚活パーティーなど、セックスではなく最初から結婚を前提にした出会いの場でしか出会いが得られなかった。
それはその人の努力や思いではななく、すべて顔の違いからくる。
結婚したいと思えば、まずは自分の気持ちを抑え、顔の違う他者のマネはせず、自分の顔を知り、それに合った戦略をたてること。
今はそのことを痛いほど感じている。
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