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2020年07月29日20:26

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生きたい権利 死にたい権利

■京都・嘱託殺人で逮捕の医師の素顔は? 元国会議員の妻「…離婚します」
(AERA dot. - 07月29日 09:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=6174595

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登場主体は大まかに「病人」「家族」「医師」「法律関係(社会制度)」の4つ それぞれが生きたい(生きていてほしいや生かしたい)、死にたい(死んでほしいや生きていたくない等)の2パターンと想定する。

まず今回の事例は
「病人」=死にたい、生きていることが苦痛
「家族」=不明(おそらく生きていてほしい?だったと思われる)
「医師」=主治医は「生かしたい」 容疑者の医師は「死なせたい」
「法律関係」=「生かしたい」
となるだろうか。

3日ほど前の記事で書いたが「自殺(今回事例含む)」が理解されるかどうかは、その自殺に至った理由が同情や共感に足るかどうか?がカギだと思っている。

まず当たり前で分かりやすいところから。社会制度として「安楽死」が法整備されていない時点で自己判断で法律に反する行動をとった医師は糾弾されてもやむなしであろう。とはいえ、それこそ悪法だと信じていて覚悟を持って行動してしまったということだろうが、手を下したのが家族だったのなら、立場上同情の余地が増えただろう。だが、医師が依頼を受けて殺した、報酬を受け取って行った「仕事である」というところから私としては受け入れがたいものを感じてしまう。

嘱託殺人に応じた医師はまさに仕事として受けることに一定の信念があったようだが、仕事として受けるのであればこそ、社会制度や法律に従う必要が上がるのではないか? 仕事ではなく苦しむ家族を救いたいとか、介護疲れで自分が限界にあったというのであれば社会制度や法律を無視してもやむなしな状況が想像しやすいのだが、「仕事でやりました」というところでその覚悟がむしろとても軽く感じられてしまうのはなぜなのだろう?私も書いててよくわからない(笑)。

安楽死制度を整えることの是非についていえば私個人としては基本的に賛成ではあるが、いくつか解決すべき課題があると思われる。
たとえば重症患者本人は「生きたい」と思っているのに、家族が「死んでほしい」として暗に圧をかける状況が生じやすくなること、および家族が本人の意思を偽造して安楽死にさせてしまう可能性が気になる。なにせ本人が「死にたい」と思う前提がない時点でそもそも安楽死ではなくて殺人になってしまう。

自己決定権の中には愚行権も含まれる。死にたい人が迷惑をかけないように自力で死ぬのであればまあ許容はできそうだが、基本的には周囲に悲しむ人がいるケースがほとんどであろう。だから自殺の大半は許容できない。「死ぬまで生きろ」と思う。私自身最後まであがいて力尽きて死ぬつもりでいる。

「ジョニーは戦場へ行った」の主人公の状況になれば私とてさすがに「死ぬしかないな」とあきらめるだろうが。

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