mixiユーザー(id:12593070)

2020年07月02日02:46

143 view

案山子のマスターが亡くなりました!

■案山子のマスターが亡くなりました!

吉祥寺でトライアスロンショップをやっている小美野さんから久々の電話です。筑波でハイエンドモデルを売っていたサイクルショップ、カロッツエリア小美野というショップを運営していた小美野さんのお弟さんで、メカニック仲間です。

ワールドカップやハワイのアイアンマンや、宮古島のストロングマントライアスロンで、一緒に働いていました。僕はトライアスロンやロードのメカニックの辛さに耐えられす、体力的に無理だと現場を離れてしまいましたが、展示会の会場などで会ってはいました。

吉祥寺のショップ兼トレーニング施設を訪問したこともあって、小美野さんの発想には驚かされたり、刺激を受けたりしました。お店の中には無限軌道のローラー台と、流水プールが置いてあって、そこは完全にトライアスリートのためのトレーニング施設で、隣がメカニックルームというお店です。

トライアスロンバイクや用品と展示は少なく。トライアスリートとのコミュニケーションスペースのようになっていました。トライアスリートに寄り添う、相談相手みたいな存在のお店です。主要な大会会場でお客さんのメカニックサポートや物販をやっていました。トライアスロンショップはこういう食い込み方をしないと、長い付き合いができないんだという、ビジネスモデルを作り上げていました。

その小美野さんが会社を譲って引退すると言って来ました。65歳になって、去年あたりから考えがまとまり始めて、準備を始めていたそうです。卸屋さんにも引退の意向を伝えて、了承してもらうための手続きを踏んでいたそうです。

そうは言っても個人商店で頑張って、小美野さんじゃなきゃというお客さんも大勢いると思います。その人たちが頼りにしているはずなのに、頑張って継続したらと言ってみましたが、目も悪くなったし、体にももう休みなさいという信号が出ているというのです。

半月は吉祥寺でお客さんと話をしたり、ご飯を食べて過ごし、後の半月は土浦で畑をやって過ごしたり、地元でパンク修理でもやって、実用車に乗っている人に喜ばれるようなことをやりたいと、そういう結論に達しているらしい。

筑波には楽しく走れる場所はあるのかと、もともとトライアスリートだから、そういう道路事情も知りたいらしい。それで電話をかけて来たのだ。お酒とネオン街が好きなので、そっちの情報も教えてくれということだった。

小美野さんも、僕も、清志郎さんも通っていた、環状8号線沿いの案山子という居酒屋さんの話になった。古漬け、納豆ご飯、豆腐チャンプル、ゴーヤチャンプル、焼きおにぎり、焼き鳥が美味しかった。清志郎さんを連れて行ったら、通うようになっていた。狭いカウンター席の後ろへオレンジ号を入れてもらって飲んでいた。

案山子から電話がかかって来て、一緒に食べようというのが何度もあった。納豆ご飯やゴーヤチャンプルを食べて、生ビールで酔っ払った清志郎さんをアヴェンシスに乗せて、オレンジ号をルーフキャリヤに乗せて、よく代々木上原の事務所や自宅まで送って行ったものだ。

小さな居酒屋だったけど、美味しくて、筑波のライドの帰りにしょっちゅう寄らせてもらっていた。環八沿いに住んでいるきつねこさんを誘って一緒にご飯を食べましたね。そのトライアスロンをやっていた親父さんが、亡くなってしまいました。

体調が悪くなって、お店を閉めるので、お店に飾っている、ハワイのアイアンマンのフィニッシュの宮塚選手の写真を本人にあげたいというので、住所と連絡先を聞いて来たのが最後になってしまいました。沖縄出身の人でした。

ご先祖様は琉球王朝へ出仕していた人で、ちゃんと沖縄の家系図の分厚い本に名前が載っていました。親父さんの得意料理にチャンプルが入っていたのはそのせいです。何気ない料理が本当においしかったな〜。韓国に通って漢方系の材料を手に入れて来て、お茶に煎じてよく飲ませてもらったな〜。

メンテ本が出来上がるたびに届けていました。ハワイのアイアンマンや宮古島に参加していたマスターによく会っていました。トライアスロンに出るために働いているんだと言っていました。小美野さんのところでバイクを組んでもらっていました。肺炎で亡くなったそうです。ご冥福をお祈りいたします。

3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する