昨年は自分に喘息が出るかもしれない中(その後発作に悩まされた)、チケットを買っていたため、知り合いを誘って落語の「小三治、小里ん二人会」に参加したのだ。
その後、鈴本にも誘った同知人から、私は落語は好きじゃないのでごめんなさいっと言ってきたので、今回は一人で参加。
1年前は79歳だった師匠も、12月で80歳になられていた。
たとえ国宝でも人であるからして、この1年の変化は大きいと思う。
お囃子がなり、師匠が高座に上がるまでに、ロマンチスト! 憎いね! 野菊の墓!っと一声かけたかったが、自分に元気が無く声も出なかったので自粛した。あぁ、残念!!!
とぼけた師匠さながらの、デスクジョッキー的マクラ話が私は大好きなのだ。
今年も札幌に行かれて、その噺からどこに行くのかと思えば、オーディオファンでもある師匠は歌をうたい始めた。
なかなかの味のある歌であった。
クラッシックファン、オーディオマニア、スキー、バイク、とこれはと思ったらかぶりつき、のめり込む。
このコダワリには自分でも呆れるほどだと某新刊本でも語っていた。
だが、そのコダワリには、必ずと言って良いほどに、この人が好きだ! この人について行きたい! とのコダワリから病み付きになってしまったとの噺がその本にはあるのだ。
大好きな作曲家のひとりが、中田喜直氏なのだそうだ。
私達にも馴染みである、小さい秋みつけた、夏の思い出、雪が降る、などで有名な作曲家である。
そして、この作曲家はスキーが大好きで、自宅をスキー場のゲレンデの側にしたぐらいの作曲家なのだそうだ。
そして、いつかスキーを一緒にご一緒したいと思っていた矢先に、作曲家との出会いの仕事のオファーがあったらしいのだ。
だが、時期が来た時に、その作曲家の体調が思わしくなく、出会いの場も実現せずに、大好きなスキーも一緒に出来なかったと今回のマクラで述懐していた。
落語で、某作曲家の歌を三番まで歌う人は稀であろう。
ましてや、知られていない三番の春を始めて聴けて関係ないところで感動した自分がいたのだが、その歌の題名を忘れてしまった自分なのであった。キーワードはフランス語だったかな。
そんで、また例によって、番頭さん?(マネージャー)からの一声がかかった。
「師匠! もう8時45分ですので、マクラは辞めて15分で落語をして下さい!」
師匠、うろたえずに後10分で、落語をチャチャァと済ましますんで、ご安心ください。
っと始めたのが
「ちはやふる」でした。
これも師匠独特の編集によるものなのでしょう。
まぁ、10分でも笑えたこと格別なり。
で、終了したのは、9時少しはまわっていたとは思うのだが、お疲れでしょうに、疲れも見せずに深々と頭を垂れ、お辞儀をされて、「皆さま、どうかお気をつけて、お帰りください」っと来たもんだ。
本年の札幌帰りの疲れもあったのか、個人的に、たった一年でもかなり師匠の老けを感じた。
帰り際、庭先に救急車が止まっていて、そのパテライトが異様に光っていたものだから、師匠の身体の具合がかなりお悪かったのではないのかと察するに余る、帰り際の自分でありました。
言いたいことを言える自分を大切にするって、かなりハードでストレスも募るでしょうね。
ましてや、人間国宝ですからして!
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