mixiユーザー(id:124952)

2019年10月21日10:45

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日曜は……

 思っていたより天気がいい。青空も出ている。

 でも、こんな時に限って、喉が痛い、寒気もする……仕方ない、バイクに乗るのは断念して静養しよう、と思ったのだけど、日曜だと言うのに外壁補修の作業中(台風で作業休んじゃったからねぇ……それを取り返さないと、だし、台風による被害も出ていて外壁修理は大忙しなのだとか)で、工具の音が耳障りでゆっくり休める状況ではなかった。

 仕方ないので、駅前のレンタルルームに行く。
 ここは施錠できる個室で、注文一つで食べ物でも飲み物でも届けてくれる、文句なし。
 そこで、溜まっていた映画レビューなど、ぽちぽち。

 午後は映画。今日は、ブルク13で、
 「楽園」。
 これは、吉田修一の短編集「犯罪小説集」の中エピソードを元に「64 ロクヨン」の瀬々敬久が映画化したもの。

 過疎化の進む農村で起きた幼女失踪事件がその始まりだった。その事件から12年後、再び同じ村で少女が姿を消す。村人は、ベトナム出身のリサイクル業の青年の豪士が怪しい、と住居に押しかける。
 そんな村人たちの中にいた帰郷して養蜂業を営む善治郎は、帰宅した豪士の姿を見つけて……

 この映画、物語としてはムラ社会ならではの“魔女狩り”と”村八分”により、居場所を失った男たちの悲劇、と言う体裁。
 男たちの犯行を何れも描かず、感情移入をさせるやり方は巧みではあるが、見方によっては犯罪を容認する事にもなりかねない、と言う危惧も感じた――実際、「こんな村、なくなってしまえ」と思わされてしまうのだ。
 ただ、ここで描かれる外国人の排斥、集団の序列と慣例に従わない者への村八分、と言うのは学校のクラスから日本社会全体まで、何処でも起き得る事――だからこそ、こうした問題は決して他人事ではないし、この国が、余所者へ優しくない社会であり、“楽園”などでは決してない、と言う事を思い知らされる。
 そこに思い当たった時、先に抱いた「なくなってしまえ」と言う感情が如何に危険なものなのか……これには我ながらぞっとさせられた。

 この話、豪士と善治郎の2つのエピソードが上手く噛み合わないのに違和感がありましたが、短編集の中の2つの物語を合体させたもの、とあって納得……確かに、日本のムラ社会に追い詰められる余所者のエピソードであるのですが、ここは将来への希望を担う役割となる紡と言う少女を上手く機能させて欲しかったなぁ、と言う感じだった。
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