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2019年09月10日07:44

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「強健術』案内7

前回は、「第一練習法の甲」のやり方の最後まで見てきました。ここで、後の「正中心」に発展する「下腹の緊張」、「気合い」と、現代ではあまり聞き慣れない「運動の過激」(詳しくは前回をご覧下さい)を避けるために、動作を「静かに」行っていたことを見てきました。
さらに、この「第一練習法の甲」で注目したいのは、その回数です。
ヌ、此の運動は左右交互になし、運動回数は両方にて三十回。
左右交互に行うとは、片腕で15回行うということです。後に完成の域に達した「簡易強健術」の「上腕二頭筋練修法」は、片腕2回で済んでいることに比べますと、かなりやる回数が多いことが特徴的です。これに関しましては、春充も解決すべき課題として、次のように述べています。
運動に多大の時間を要してはならぬ、時間の徒費は運動の永続を妨げ、其の効果は多く疲労に終わるに過ぎない。(実験 簡易強健術 P.29)
方法の数が多くてはいけない。数が多いと、時間も懸かり、忙しい時など、つい億劫で、放棄するようになり易い。(健康の中心を強くする法 P.13)
春充は、強健術つまり自身の理想とする運動法を考案する際、それを実現するための「5つの要求」を設定しましたが、中でもこの「運動回数、運動時間」の短縮という項目は、春充が最も重要視したものです。強健術は、この「運動回数、運動時間」の短縮のために、様々に変化し発展してきたとも言えます。さらに、この回数について主著『聖中心道肥田式強健術』では次のようにも言います。
『運動回数は、熟練すれば、まだ減じてもよいのであるから、徒(いたずら)に型ばかりを学んで、無意義、無気力な遣(や)り方をせぬ様に、しなければならぬ。我々は力業をやるのではない、健全な心身を、練るのであるから、運動回数増加率の必要はない、そんな煩瑣なものは、永続的運動法としては、最も忌むべきものである。予の如(ごと)きも、最初は、そう云(い)う遣(や)り方をして見たので、其(そ)れがためにはいくらも頭を使ったことか分らない。だから直(す)ぐに飽きて仕舞ったのである。時間が懸(か)かって継続を困難にする、これは実行上、直(す)ぐにぶつかって解決せねば、ならなくなる問題である。予の方法は氣合ひを加味したるを以(もっ)て、熟練の結果は、反対に減少することが出来る。現に予の如(ごと)きは数年来、此(こ)の練修法のために十分以上を費やして、遣(や)ったことがない。やる暇もなかった。それでも、若々しい体と心を保って居る。理屈は兎(と)に角(かく)、熟達すれば、断じて多きを、遣(や)る必要がない。(聖中心道肥田式強健術 P.691)
ここにも、ありますように、運動の永続を妨げる一番大きな原因が「運動回数、運動時間」の多さだったのです。そして、その最も大きな解決策は、「気合い」、「正中心」の導入になるのですが、詳細は刊行予定『聖中心伝−肥田春充の生涯と強健術−』(青年編)にゆずりたいと思います。
(写真は、春充の生家近くにある祠)
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