以下ネット記事から
平野塚穴山(つかあなやま)古墳(7世紀後半)の墳丘が、近くの二上山で産出された凝灰岩を平らに加工した張り石で装飾されていたことが分かり25日、香芝市教育委員会が発表した。
同様の装飾は、天武・持統天皇が埋葬された野口王墓古墳(同県明日香村)と、斉明天皇の墓とされる牽牛子(けんごし)塚古墳(同)に次いで3例目といい、専門家は「斉明天皇の父、茅渟(ちぬ)王の墓説を補強する成果だ」と話している。
石室入り口と張り石 張り石の下部
張り石の拡大
再びネット記事から
石室の石には、石材を動かした跡とみられる「てこ穴」も8つあった。
てこ穴は壁画で名高い高松塚古墳やキトラ古墳(いずれも同村)にもあり、同じ石工集団によるものと考えられるという。
石室入り口の両脇下部のてこ穴
また前回の調査では、
石室の傾きが手前に向かって2度傾いて、
それは雨漏りなどの排水が目的と考えられている。
これは高松塚とキトラ古墳でも見られていて、
やはり同じ石工集団によるものと考えられるらしい。
北側から墳丘を望む
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