5月のミニコンサートで、スクリアビンの
練習曲Op.8-12を弾くので、いま練習しているが
弾くたびに、本当にいい曲だと思う。
怒り、官能性、狂気といった、激しい感情が
この、たった2分ちょっとの曲の中に
すべて込められているのである。
激しい曲にも関わらず、そんなに難しくないのも
実に魅力的である。
この曲といえば、なんといってもホロヴィッツだ。
ソフロニツキーや自作自演もいいが、
テクニックや、感情表現の自在さにおいて、
ホロヴィッツに勝るものはないといえる。
Vladimir Horowitz Playing Scriabin 12 Etudes Op.8 No.12
ホロヴィッツのこの曲の演奏で、ちょっと気になるのは
最後の2小節の、2つの和音である。
楽譜を見ると、主和音→主和音(ラドミ→ラドミ)
なのが
ホロヴィッツは、主和音の四六→主和音(ミラド→ラドミ)
というふうに変更して弾いていて、楽譜より強烈な印象を受ける。
これは、実際に楽譜通りの演奏と比較するとわかりやすい。
Nikolai Lugansky Scriabin Etude Op. 8 No. 12
https://www.youtube.com/watch?v=We1mxuVqS9Q
ホロヴィッツは、2:03〜2:05。
ルガンスキーは、2:15〜2:20。
ルガンスキーのほうは、楽譜通りで、
作曲者の意図に従っているのだから
いいようなものだが、
ホロヴィッツと比較すると、かなり聴き劣りする。
ホロヴィッツの終結の変更は、作曲者の意図を超えた
まさに天才的なものだと思う。
「スコアに忠実でないといけません」という人が
演奏家のみならず、リスナーにまでいるが
こういう例があるということを知っておくべきではないか?
そう思うのだが。
5月の本番では、終結の部分は、
楽譜通りに弾くか、それとも
ホロヴィッツの過激な変更で弾くか。
よく考えてから決めたい。
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