と叱られた。
喘息がひどいので、部屋の清掃を普段より念入りにしたり、ついでに片付けもしたら、翌日の夜間からひどい発作に見舞われた。
床につき、横になって身体が温まってくる夜中に咳が止まらず、結局起き上がり何かをしてしまい、薬を飲み寝るのだが、ぐっすりとは眠れない。
疲れだろうから、安静にしていればと思ったが、クリニックに行った。
診察し、ひどい喘息だ。気管支炎喘息とか喘息にも色々あるようで、環境が変わった事、気候が極端に変わった事。ストレス、気圧の関係もあるとか。。。
テキパキと処置をしてくれた看護師さん一家は皆が喘息持ちで、自分もそうで、若い息子さんは、今重症で入院をしているとの事だった。
息が出来ないくらいヒーハーする時は、我慢してはならない。緊急に処置をしないと閉塞して息が出来なくなり死に至ります。よく我慢してましたね。我慢強いんですね〜。と忠告を受けた。
吸引しながら、点滴に通って二日目。だいぶ良くはなったが。。。
埼玉に近い空気の良い地域から、江東区に越してきて。。。環境にもなれず、懸命になって引越しの労力を使って、燃え尽き症候群のような心的ストレスもあるのかもしれない。
いや、仕事していた一昨年に風邪をこじらせて、この症状が出てしまったのだ。
父の想い出
父親はこのひどい喘息の発作が原因で、48歳で亡くなったのだ。
私には若い時には出なかったが、もともと気管が弱かった自分を認識はしていたが、このDNEは間違いなく父のものだ。
父は入院した事があったのだろうか。薬はいつも枕元に置いてあり、山の様なティッシュと痰壺と尿瓶も置いてあった。冬はほとんど寝たきりで、発作が起きても救急車を呼んだ事がなかった。入院するのは嫌だからと、父が拒否していたのだろうか。。。かなり幼い記憶を辿っても、父親が入院した記憶がない。母親が入院した記憶はある。
父はそんな状態でも、酒が好きで、寂しがりやで、少し気分が良くなると、知人を呼んでは、酒浸りになっていた。父は普段暗いほど静かなのだが、酒は強く、気分が良くなり、騒がしいほど陽気になる癖があった。だが、その翌日は決まって喘息の発作が起きた。
貧乏でも、縁の下かどこかに一升瓶を母が隠しておいても、まるで犬みたいに嗅ぎ分けられるのだろうか、いつの間にか酒の量が減っているのだから。
そしてタバコすら止めなかった。途中パイプに変えた様だが、フィルターなんて昔はないニコチンの強いタバコを、吸い殻がなくなるまで吸っていた。
喘息が出て、父の苦しみが今よく分かった様な気がしている。
自分で自分の身体を護るしかないな。
我が青春の時間を取り戻したい、まだやりたい事だって沢山あるのにと、思っている矢先に。。。なんということでしょう♪
三日か一週間に一回の酒もやめるしかない。
残念だけど
悲しいけど、悔しいけど
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