「平等を」同性カップルの願い
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まず世の中に圧倒的多数なのがそれぞれ異性を好む男性と女性であることは論を待たない。また、客観的に見た目でわかる分類についても「男性」か「女性」となるのは争いのない事実である。
トイレや更衣室の大多数は「男性用」「女性用」となる。一部に「ユニバーサル」ができ始めている程度だろう。んで、少数派に「平等に配慮」しようとして、たとえばLGBTそれぞれに個別のトイレや更衣室を準備するとどうなるか? スペースや予算は有限なので、その分多数派の男性や女性のスペースが割を食うことになるわけだ。
「平等」と言いながら、少数派に多数派と同等にまで配慮しようとすると多数派にとっては「不平等」になることもありえる。そうなると多数派の少数派への理解や配慮は後退する確率が高い。「相手の便利(幸運)のためなら、自分は不便(不幸)になっても良い」という人は少ないものだ。「なんでもかんでも平等に」と拡大しすぎるのは多数派のみならず、少数派にとってもよろしくない。
そんなわけで、少数派の方々には酷かもしれないが、少数派配慮、弱者救済という「博愛」は多数派の努力目標であるべきだろう。義務ではなく。そこが「自由」「平等」と異なるところだ。
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