9割もイスラム教徒が占めるのならば
さもありなんといったところか
日本でも一定の志向というか思想に迎合しない人は
村八分に遭う事は珍しい事ではない。
僕が身上としている事の一つに「是々非々」と
「多様性への理解」がある。
だが、宗教の世界ではそうは行かない事は
これまでの歴史が物語っている。
ローマ法王だけが「寛容」を訴えても
他の宗教がそれに追随するとは限らないのである。
いわば「一神教」といわれる唯一無二の神を信仰する彼らにとっては
他の信仰者は、神敵であり教敵である。
或いはその他の信仰者を折伏するところまでが信仰の一環だとすれば
もはや信仰そのものを変えていかないと
折り合う部分は見つからないのだ。
ローマ・カソリックが膝を折ったからと言って
絶対神アッラーを信仰する彼らが同様に
寛容的になる必要がどこにあるだろうか
科学が正しいとしている人間ですら
信仰は別だと考えるわけである。
より信仰の深いイスラム教徒ならどのような反応になるかは
推して知るべしと言ったところではないだろうか
既に裁判所の判断が
イスラム教徒の信仰を守るためなら
他教徒を罰しても良い、と判断しているわけだから
この国で異教徒が安心して住める手立ては殆ど無い
もし、彼らと彼らの信仰を冒涜するようなことがあれば
負けると判っていても戦争も辞さないと考えるのが
正しい判断だろう
文句は言えないと思う。
■苦情言った仏教徒に禁錮刑…インドネシア、広がる不寛容
(朝日新聞デジタル - 12月27日 15:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5436431
東南アジアの主要国でも特にイスラム教徒の割合が大きいインドネシアで、ほかの宗教への不寛容が広がっている。キリスト教やヒンドゥー教、仏教の信者らが被害に遭う事件が続発。背景には来年の大統領選を前にイスラム勢力が政治的影響力を強めている事情があり、少数派の声が置き去りにされることへの懸念が深まっている。
イスラム教徒が9割近くを占めるインドネシアでも、クリスマスは祝日で首都ジャカルタなどではショッピングモールやホテルが飾り付けられる。しかし、政府は今年、総勢7万2千人の警官を全国のキリスト教会に配置。首都中心部のジャカルタ大聖堂は25日、警官が特殊車両から目を光らせるなど物々しい雰囲気に包まれた。
背景には、国内でイスラム教とほかの宗教の摩擦が高まっていることがある。
5月、第2の都市スラバヤでイスラム過激派の一家が三つのキリスト教会で自爆テロを起こした。スマトラ島では8月、イスラムの礼拝を呼びかけるスピーカーの音が大きいと苦情を言った仏教徒の女性に地裁が宗教冒瀆(ぼうとく)罪で禁錮1年6カ月の判決を下し、仏教寺院が襲撃される事件も起きた。ジャワ島などのヒンドゥー教寺院も今年、何者かに相次いで破壊された。
過激派が先鋭化させる対立の高まりが、市民の心にも影響を及ぼしつつある。
今月中旬、ジョクジャカルタ特別州プルバヤンで、運転手アルベルトゥス・スギハルディさんの埋葬が公共墓地で行われた。スギハルディさんはカトリック教徒で、家族は故人の名前などを記した木製の十字架を持ち込んだ。
だが、イスラム教徒の住民らが「キリスト教のシンボルを持ち込んではならない」と十字架をT字形に切断。写真がSNSで拡散し、大きな議論を呼んだ。
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