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2018年09月27日17:47

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熱いぞ!プロ野球 愛される男

ちょうどドラゴンズが第二次黄金期の時期に
名古屋在住だったので、当時の記憶が鮮明なのであるが
それからずいぶん経って第二次星野政権の時にも優勝している。
99年のドラゴンズはしかし、
その剛腕に陰りが見えてきた韓国の英雄・宣銅烈(ソンドンヨル)が
クローザーを務め、そこに繋げる中継ぎとして活躍したのは
自身がクローザーを務めていた時の一時の浅尾とも重複するイメージである。

その後、クローザーはスチーブン・ギャラードに代わり
これまた剛腕投手として「シャッター降ろし」をしてくれたが
そこに繋げるセットアッパーとして完全に地位を確立していた。
浅尾同様、ドラゴンズのブルペンというのは投手を使い潰す傾向が強く
その印象は拭えない。壊れるまで酷使するイメージである。
上原、落合、森田、与田、郭源治、浅尾。。。
ノってる投手に頼る起用法が伝統的で、登板過多が原因で短命な投手が多い。
遡れば都裕次郎だってそうだろう。

その中では、奇跡的に稀有な事に幸せな事に
未曽有の酷使が続いていた岩瀬は大きな故障は
2014〜2015年の左ひじの故障だけに留まり
999登板までこぎ着けられたのは実に幸いな事である。

ギャラードも退団すると、とうとう岩瀬が抑えのエースに台頭する。
それから彼の長い活躍が始まるのだが。。。。

こう書くと「ドラゴンズファン」みたいに思われるかもしれないが
僕はドラゴンズは「どちらかと言えば嫌い」である。
ライオンズファンであり、セ・リーグならカープファンである。
奇しくも今シーズン好調の両軍だが。。。ドラゴンズが嫌いな理由の一つが
前出の「投手使い潰し」と外国人選手に頼るチーム構成である。
ただ、ナゴヤドームに移ってからは「守って勝つ」という印象が育って
好きなタイプの選手も多いのも事実だ。
その中の一人が岩瀬である。

全盛期に正月にボートレース場で普通にお客として舟券を勝っていた姿が
余りにも印象的だ。お金もステータスもある男が
一般人に溶け込んで居られるなんて。
元日ハムの武田久に匹敵する、オーラの無さである(笑)
そこも愛される理由になるんじゃないか。

お疲れ様。と言いたい。


■中日・岩瀬と荒木も引退へ 浅尾とともに初セ連覇支える
(朝日新聞デジタル - 09月26日 21:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5305971
 プロ野球中日の岩瀬仁紀投手(43)と荒木雅博内野手(41)が今季限りで現役を退く意向を固めたことが26日わかった。浅尾拓也投手(33)も同日、名古屋市内で記者会見し、現役引退を表明。2010、11年の球団初のセ・リーグ連覇を支えた3人がそろってユニホームを脱ぐことになった。

 愛知県出身の岩瀬は1998年秋のドラフト2位でNTT東海から入団。2005年から9年連続30セーブ以上を挙げるなど、抑え役としてチームを支えた。

 14年に史上初の通算400セーブを達成し、17年にはプロ野球最多の950試合登板を果たした。今季も45試合に登板し、前人未到の1千試合登板にあと1試合に迫っている。

 二塁手の荒木は95年秋のドラフト1位で熊本工高から中日入り。遊撃手の井端(現巨人コーチ)と「アライバコンビ」を組み、04年から8年間で4度のリーグ優勝に貢献。07年には盗塁王、17年には2千安打を達成した。

 浅尾は06年秋の大学・社会人ドラフト3巡目で入団。セットアッパーとして岩瀬と「勝利の方程式」を担い、11年に中継ぎ投手として初めてセ・リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれた。ここ数年は右肩痛に苦しみ「限界を感じていた。悔いはない」と話した。

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