mixiユーザー(id:1506494)

2017年12月18日22:24

276 view

Ryuichi Sakamoto:CODA@ジャック&ベティ

本日は矢野アッコちゃんの前夫(元夫といえば矢野誠さんになってしまうので)である
坂本龍一教授のドキュメンタリー映画を見て参りました

冒頭、坂本教授が東日本大震災で水没したピアノを弾くところから始まります
そこから最近作「async」の制作プロセス(らしい)を追っていくのが趣旨のようですが、
断片的に紹介されるので(まぁドキュメンタリーですからストーリーが無くて当然)、
よく理解できたとは言い難い、観る人が勝手に考えればいいのでしょうか

過去のアーカイヴ映像も紹介されますので、それと対比させつつ、教授の変遷を
辿る、というのが趣旨なのかもしれません

YMOのいわゆるテクノポップ時代の曲も(懐かしい)聞かれますが、確かにコンピュータ
を使ったサウンドと現在の音楽は明らかに異なります
YMO時代のインタヴューで「何故コンピュータを使うのか」という問いに対して、「人間の
手で速弾きしようとしても、そのテクニックを身に着けるのに何年も費やしてしまうが
コンピュータには制約がないから」と答えています
この場合のテクニックとはメカニックなものを指しているのでしょう
それだけが音楽ではないはずですが、当時の坂本教授にとってはそうであったようです

翻って、本日のドキュメンタリーでは「自然の音探し」をする教授の姿が見られます
映画のチラシの画像は、ポリバケツをかぶって雨の中に立ち、雨音を聞いている
ところなのです

教授曰く、ピアノという楽器は板を何枚も貼り重ねて、数か月かかってそれを曲げて
筐体を作り、弦には何トンもの力が加えられており、自然のものではない
調律が狂ったというが、それは楽器が人間の加えた圧力から解放されて本来の姿に
戻ったものだとも言えるだろう

冒頭の水をかぶったピアノもその象徴のようです

ワタシは音楽という芸術はアーティフィシャルなもので(アートですから)、人間が何世紀
もかけて自然界から取り出したものを洗練させて作り上げたものなので、必ずしも自然
のままがいいとも思いませんが、まぁ本来の形を忘れてはならないという主張は理解
できます(良い音楽を聴いて心癒されるのは、その本来の姿を見出しているからかも
しれませんね)

確かに、小室哲哉のような作品(音楽とは呼びたくない)には拒絶反応が起こります

本作映画中では、教授の自作曲のほかに、バッハの平均律の中からハ長調のプレリュー
ドや、コラール前奏曲「イエスよ、私は主の名を呼ぶ」が演奏されますが、メカニカルな
テクニックだけでは表現できないものがあります

教授にもオペラ作品があって、というもののそれは本来の「作品」という意味であって
歌劇ではないのですが、その「Life」というオペラの中の「オッペンハイマーのアリア」
は心に沁みる音楽でした(原爆の父と呼ばれた、あの物理学者です)
YouTubeに音源があります↓
https://www.youtube.com/watch?v=uiys9UyCoFs

教授は元来は音楽に政治を持ち込まない人でしたが(学生運動などはやっていたよう
ですが)、ある種の主張は必要と考えるようになったようで、本日の映画でも反原発の
活動をする姿があり、この「Life」というオペラもそういった傾向の表れかもしれません

そういう活動に対して、ワタシがどうこう言うつもりはありませんが、坂本龍一という人は
やはり才能豊かな方だと思います
「戦メリ」のテーマ曲をピアノトリオの形で演奏した映像が出てきましたが、単純な
メロディと思っていたのに、なかなか深みのある、発展性のある音楽でした
最新作の「async」も聞いてみたい気がします

映画タイトルの"CODA"は、教授が3年前に癌を患ったことを考えると縁起でもない
と思うところですが、作品解説には「各楽章につけられることがある」と説明されて
おりますので、これが終楽章とは限らないとも言えるでしょう(終楽章かもしれない)
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年12月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31