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2017年10月16日17:53

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芭蕉自筆『奥の細道』と正岡子規

  試みに芭蕉の題字蘇子に擬す  明治30年

正岡子規は俳人の中で芭蕉の書が最高だと言っている。
子規の遺墨を研究された山上次郎氏によれば、子規と
芭蕉に関しては斎藤茂吉と茂吉の書の先達が参考になるという。

子規の書に芭蕉の影響が見られると斎藤茂吉は言う。
「子規の書は芭蕉の書の影響が実に著るしい。子規は
僅かばかりの芭蕉の真蹟を見つけて、心を傾けて
その手習いをしたことが実に明瞭である。
子規は、一面芭蕉の句の月並み的傾向については
遠慮なく批評してゐるが、やはり芭蕉を第一等の
俳人として崇敬して居たことが分かる」(『古泉千樫君』)
斎藤茂吉は歌人として優れていたが、書も優れていた。
茂吉の書の指南役である岡麓(おかふもと)は、
「子規が芭蕉と似かよう」と言っている。

子規は優れた書として、芭蕉の『幻住庵記』を挙げている。
1990年後半に大阪で発見された芭蕉の自筆(上記も含む)が
本物だとする判断基準は筆の癖である。 
幼少期に身につい(てしまっ)た筆使いはおいそれと
変わらないというのだ。
後の世で真贋騒ぎを起こそうと、変えながら書いてもいなかった
こだろう。

芭蕉の『奥の細道』自筆と思われるものには訂正を張り紙で
してあった。裏から光をあてて、訂正前の筆跡を読み取る
作業が行われた。コンピュータ―・グラフィックスのお世話
にもなった。
いくつかの主なアプローチ、書体、使われている半紙などを
検討した。そして、主な3種の書体をすでに判明している
ものから比較して芭蕉の自筆、弟子の誰が清書しているかを
割り出す作業が行われた。
その結果、芭蕉の自筆本から利牛が書いた曽良本と芭蕉が
書き込んだ曽良本が派生し、曽良本から更に素龍の書いた
二冊が生まれたことが跡付けられた。

斎藤茂吉および岡麓を全面的に信頼したいところだが、
慎重を期すところでもある。




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