mixiユーザー(id:6231411)

2017年03月28日01:35

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不毛な議論ですな。

理屈だけ云えば、「努力しなければ、報われない」或いは「努力を怠ればその報いを受ける」と説明するのが正しいわけだが、

「(某かの1位になって)優勝したい」という望みに対しては、叶う人の絶対数が限られているわけだから、必ず報われるとは限らないのは、誰でも肌で分かる事実だろう。
だが、「努力は(自分を)裏切らない」という主観的な達成感に対しては強ち間違いとも言えないわけで、結果としてどんな報いが獲られるか、がケースバイケースであったとしてもそこは盲目的に受け入れても悪くない。
だが、努力といっても“何の”努力なのか、が結果=報いを大きく左右するだろうから、どういう方向性の努力であるか、は非常に重要である。
アホに話をしてるわけではなく、僕も大学受験を控えた娘が居るので、娘に話すのと同じ真剣さで述べる積もりだが
一つ一つの目的に対して効果的なアプローチが出来ているか、が議論の中心である。
例えば娘の場合なら、
受験を控えた身であるから、「部活動を辞める」のが努力ではなくて、「その時間を勉強に充てる」のが正しいアプローチである。いや、そもそも受験の目的は「同じ学部学科の試験に臨むライバルより点を取る」のが目的であり、テストで点を取るのが得意な子が競って行きたい学校の学部学科の試験では、より高い得点が必要なのであり、彼らライバルより得点さえ出来ればアホでも事足るのである。
その時「賢いか、賢くないか」は一切問われない。「点を取るか、取らざるか」が分かれ目だ。

恋愛だって、そう。出世だって、そう。
競争や勝ち負けで、努力して得られるものは、自分の中の尺度での満足に過ぎないのだ。僕はいつも云うのだが、「遺伝や才能に勝る努力はない」。遺伝や才能では足りない部分を“ちょっとでも努力で補う”くらいの話ではないか。

足の速い僕に、鈍足の若者が幾ら努力しても足の速さでは一生勝てないかも知れない。だが、足の速さ以外で埋められる部分で努力されれば、何の勝負かは知らないが、僕はあっさり敗れるかも知れない。努力とはそういう風につかうものじゃないだろうか。

「どうしたらよいか、わからない」
といえるのは、若者の特権だ。
大人は「分からない」では通用しないのだ。
努力して何が得たいのか分からないからアレだが、
報われなくても、人生は努力とは無関係には居られない、
何にエネルギーを割くのか、考えもて生きなさい!と
僕は言いたい。

だって、それしかやりようが無いじゃない…

■「努力しても報われない!私はどうしたらいい?」 悩める若者に「努力したら報われるというのがそもそも間違い」
(キャリコネ - 03月27日 15:42)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4497658
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