実は去年、『ゲキレンジャー』を最初から娘と見ていたのだった。『キョウリュウジャー』で戦隊デビューを果たした娘(5歳)に、次は何を見せようかと思った挙句、選んだのが『ゲキレンジャー』だったのだ。
『ゲキレンジャー』は’07当時、僕が非常に面白く見た作品だった。が、今回見るにあたってウィキなどの情報を見てみると、当時の玩具の売り上げや視聴率も芳しくなかったと知って、意外な感と同時に納得もしたのだった。
当時は「メレ様、ちょーイカす! リオ、この野郎、メレ様を泣かしたら許さんぞ!」という勢いで見ていたのだが、つまるところ、この作品の主役は悪役側のメレとリオだったのだ。その逆転した構図が斬新で、当時非常に面白く見たのだが、今見ると明らかにある種の『間違い』を犯していると判る。
戦隊は子供のものである。まず、ここを間違えている。娘も悪役側ばかりがやたら活躍するこの作品に、当初、相当に戸惑っていた。と同時に、この作品では主役はずっと「格下ーズ」(メレ様言)のままなのだ。はっきり言うと、ちゃんと視聴者が共感できる『主役』になりきれなかった、と言ってもいい。
というか、メインライターの横手美智子さんも、明らかにメレ様に肩入れしてるのがアリアリと判る物語なのだ。残りは、そのおまけと言ってもいい。ワルだけど一図で可愛い女メレ。横手さんの作り出した渾身のキャラがそこにいて、『ゲキレンジャー』の主役は裏どころか、「表」においてメレが主役なのである。
で、やったら丁寧に描写されるメレの心情とリオの過去に対して、主役側が完全におざなり。いや、それなりに主題を決めて頑張ってはいる。けど、非常に決定的な要素は、実は『師匠たち』の存在だ。
『最強の弟子ケンイチ』で師匠たちが強すぎて、主役がどれだけ強くなっても、結局は「格下感」が拭えなかったという例があるが、それもこれである。例えば『ドラゴンボール』は、亀仙人をはじめ界王様も、悟空に武術を教えた後は、あっさりその実力を悟空に抜かれる。つまり『悟空(主人公)が最先端に立っている』というエッジ感覚を、そこで読者に意識させているのだ。
しかし主人公より強い師匠がいるなら、「じゃあ、いざとなったら師匠が出てくりゃいいじゃん」という話になる。「不戦の誓い」とか言っていたけど、結局、その『必然性』はよく判んなかったし。実際、『史上最強の弟子ケンイチ』では、本当に最強の敵は、師匠たちが相手にして、主役のケンイチは実力に見合う格下の敵と戦うだけ。これでは正直、ビミョーな感じだ。
つまり何が言いたいかというと、実は『ゲキレンジャー』は、「主役に肩入れしにくい(できない)」作品だった、ということなのだ。子供、特に男の子は、主役が強くてカッコイイのを求める。非道な悪役を、カッコよくやっつける。そうじゃなきゃいけない。『キョウリュウジャー』なんかを観ると、悪役側の面白さは十分に描きつつも、主役が主役であるポジションは絶対に譲らない。是非、比べてみるといい。
娘は主役たちがカッコよかった『キョウリュウジャー』に夢中で、主人公たちが微妙だった『ゲキレンジャー』には微妙な反応だった。まあ、見てはいたけど、入れ込みが違った、と言ったらいいか。僕はすでに大人の目線で『ゲキレンジャー』に出会ったので「今回の戦隊、おもしれー!」とか思ったけど、多分、全国の子供たちは違ったのだ。
その、主人公に「入れ込めなさ」が、玩具の売り上げに直結したのだろうと思う。また、玩具主体も微妙だった。ゲキレンジャーが使う武器はトンファー、ヌンチャク、棒の三タイプになるものだったが、はっきり言って、主役の武器は『剣』なのだ!
これはもう、理屈じゃないのだ。主役の武器は、『剣』じゃなきゃいけないのだ。『ボルテスV』とか、『サンバルカン』とかから、主役は「剣」と相場が決まってるものだ。これはもう、日本のサブカルチャー制度における潜在的な決まりごとと言ってもよく、歴代戦隊も多くは「レッドは剣」が多数だったのだ。
まったく個人的な話ではあるが、子供の頃、『サンバルカン』が再放送されていて、サンバルカンはレッドであるバルイーグルが主役交代をするという稀有な作品であった。で、普通の主役だった初代バルイーグルの代わりに登場したのが、『飛羽返し』という必殺の剣技を引っさげた剣士だったのだ。この展開に少年剣士だった僕は、燃えに燃えた。
途中からゲキレッドも剣を使うのだけど、それは二刀流で青竜刀、つまり拳法風である。この辺で、もう少年心のシェアを外している。シナリオ上の展開もさることながら、実は主役の武器選択とか、キャラ設定でも微妙に「外している」のがこの作品なのだ。
記者が取り上げてる「巨大ロボ」の実況も、実のところマイナス要素だったかもしれない。ふざけた感じの実況中継は、はっきり言って戦いの「シリアス度」を下げる。いいですか? オトコノコは、繊細で傷つきやすくシリアスなんですよ。絶叫つきで戦いを面白く享受できるのは、結構、大人になってからだと思うべきである。
もう一度言う。戦隊は「子供のもの」である。子供が夢中になってみて、親に「おもちゃ買ってー」とせがんで、その玩具が売れて初めて番組が成立する。……そういう作品である。子供の支持がなく、玩具が売れなかったのは、明らかに『失敗』なのだ。
……だが、敢えて言おう! メレ様は超可愛かったと!
子供の目線? なんぼのもんじゃ! 玩具の売れ行き? それがどうした!!!
リオが己の過去と向き合い、より高みを目指し、そして献身的かつシビアでイカすメレ様がそのリオを見つめる。それが面白くて、何が悪い!!! ゲキレンジャー、戦隊史に残る傑作だよ! 横手さんの思い入れたっぷりのメレ&リオが、もう可愛くて仕方ない。それで何が悪い!!!
あ、一言だけ付け加えおこう。「努力によって強くなる」、というゲキレンジャー最大のテーマを、「天才で努力嫌い」というゲキチョッパーを出したことで台無しにした荒川は最悪のライターだと思った。
ま、色々と問題点は多いが、見返して損はない作品である。
10周年を迎える今こそ!戦隊ヒーロー『獣拳戦隊ゲキレンジャー』を再評価すべき5つの理由
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=132&from=diary&id=4367471
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