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2016年10月02日07:20

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「靖国参拝」

 稲田防衛大臣が8月15日の「全国戦没者追悼式」に欠席されて、ジプチの自衛隊駐屯地を訪問された件につき、国会で民進党の辻元清美議員から追及されていらっしゃいましたが、「ゲスの議論」だと思います。ソマリアのジプチは「衝突の危険がある」から派遣されている「危険懸念地域」でいわば「準戦闘危険地域の前線」ですから、国内の駐屯地とは異なり常に臨戦態勢の緊張感がある現場であって、そこを最高司令官が視察に訪れると言う「任務」は「戦没者追悼式」に参加するよりはるかに意義あることであり、「戦没者追悼式」の方が大事だと言う辻元議員の主張を聞けば、日の丸を掲げて日本を代表して異国の地で四面楚歌の中奮闘してくれている自衛隊員は何と思うでしょうか?大東亜戦争中に海軍大臣が沖縄戦を放ったらかして、「戦没者慰霊祭」に参列していたら、兵隊や国民は何と思うでしょうか?

 靖国神社参拝」についても、「国のために尊い命を捧げた英霊に尊敬と感謝の念を捧げるために参拝する」と言い習わされていますが、それは少しニュアンスが違います。靖国神社はアーリントン墓地とは異なり、お弔いの場所ではありません。生き残った日本人が「夷荻との戦いに倒れた英霊の御霊に向かって生き残りの者が感謝し、自分の思いのたけを語り、詫び、英霊の御霊を讃え、偲ぶ『魂の交信』をするところなのです。単に近所のお墓で手を合わせ、個人の御霊に来し方をしのび、思い出を語り、個人の功徳に感謝し、今日を報告する『墓参り』とはまるきり話が違います。なぜなら「墓」に祭られた命は「人生を全うした命」であり、靖国神社におわす命は「国のために中断された命」であるからです。「国によって人生を変えられた命」であって、その「おかげで今日の日本がある」と言う「公のために使われた命」であって、絶対に「墓参り」と同じ意識で参拝されるべきものではありません。

 多くは語られてきませんでしたが、「学徒動員」があったという事は、それまでは「学徒」は兵役免除があったわけで、と言う事はすべての国民に「兵役」が課せられたわけではありません。特に軍需産業に当たった人や基幹産業の中枢を担う人、兵役検査で「丙種合格」の人などは「兵役免除」にあずかりました。いわゆる「銃後の守り」を担当し、食料の供出から金属類の供出、戦時国債の売りつけ、しまいに「航空機の燃料としての松脂の回収」、空襲が酷くなれば「灯火管制」から「防空演習」を行いながら、「疎開」「配給」で耐え続けました。それでも身内や近所に「白木の箱=戦死公報と石ころ」が届けば、「銃後の国民」は「御楯」として体で敵弾を受けて、銃後の国民を守ってくれた「軍神」として崇めると同時に感謝しましたが、同時に「国のために命を投げ出した人」に対する「国のためになれなかった自分を恥じ、自責の念に駆られ、志願を繰り返し、戦場に散った御霊の贖罪のために靖国に参る」のであって、単に「軍神さん日本のために命を投げ出してくれてありがとう」と言う意味だけではないのです。

 多くの学徒動員の中から「主計中尉」などの肩書が生き残りに多いことに気が付きませんか?軍隊の中でいわゆる「管理部門」を担当した方々です。この方々は前線に出て弾を撃つことなく、兵站や軍票の管理や糧秣や給料の手配などの仕事を命ぜられ、戦後のために温存されたエリートたちですが、同じように出征してもこのような「差別」はあったわけで、こうした幹部候補生の方々は、「先に行くよ」と言われて、同期の桜が散っていったときに「靖国で会おう」としか口に出来なかった時代背景を思えば、「靖国の桜の下で涙にくれて、故人をしのぶ」ことが、生き残りの「お詫び」であり「心のつながり」でもあるわけです。特に「軍隊社会」では、「個人の白兵戦」と言うのはむしろレアケースであって、集団と集団の激闘になりますから、そこで誰かが恐怖心から持ち場を離れたり、単独行動に出たりすれば、連隊全部に危険が及ぶことから『連帯責任』が重んじられ、勝手な行動は厳しく処罰されました。その分「結束意識」が強くなり、その仲間が敵弾に倒れれば、「俺もすぐ後から行くからな」と言う気になるわけです。

 悲惨だったのは、「散華」を前提とした軍隊で、「祝入営」は「死出の旅」の片道切符だったことです。敵と遭遇して戦えば、「玉砕」が前提で、生き残ったら「敗残兵」と言われ、所属部隊が無くなり、「勝って進軍する」か「負けて玉砕する」しか道はなく、他の部隊が敗残兵を受け入れる仕組みがなかった(糧秣や兵器の員数が合わなくなる)ので、他の部隊に吸収されるケースが少なく、陸軍の敗残兵になっても海軍が引き取りの船を出さず、帝国陸軍は撤収用の潜水艦を自ら設計したと言います。こうした理不尽の犠牲となられて、多くの軍人が敵弾に倒れることなく、餓死させられ未だに遺骨収集されていない英霊にせめて「靖国神社で呵責の念をもってお詫びする気持ち」それが本当の「靖国参拝」の意味ではないかと思います。

 その敬虔な気持ちを中国や韓国や朝日新聞のチャラい奴らにかき乱されて、「日本人の心」を破壊続けていることに、日本人が恥なくなってしまった。日本の国会で中国や韓国や朝日新聞の声の代弁者が堂々と「日本人の心」を踏みにじっていることが耐えがたいのです。もっとまじめに日本人の在り方を正しく導いて欲しいと思います。
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