元西宮の号泣県議の初法廷で
「記憶にありません」と連呼しているが
実は裁判では記憶にありませんという言葉は
よく使われる。
野々村に限らず、裁判中に自分が
不利益だなと思う質問は
そうやってかわすように弁護士も
アドバイスしている。
たとえわかりませんと答えても
それが不利益にはならないし
本当に分かってるのかないのかは
本人以外確かめようもないことだからだ。
聞いているこっちは腹が立ってくるが
これは法廷の上での技の一つな訳である。
法律というのは弱者を救うためではない。
人を平等に裁くためのルールなわけで
疑念だけでは有罪にすることはできない。
だから物的証拠こそが一番力を持っている。
それがなければどんなに酷いことをしようが
わかりません、記憶にありませんで通ってしまうのだ。
もっと記憶を数値化できたり
頭の中をスクリーンに投影できたりする
技術ができれば変わるかもしれないが。
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